楢山節考
1 楢山節考の社会観
楢山節考の舞台となる社会は、町とは隔絶された、厳しい雪山の山岳地方であることが描写される。そこで、いくつかの家々が集まり村落共同体を形作っている。
そこの部落のような環境では、そこの環境をいかに乱さないか、和をもって生きていけるかが重要になる社会である。今風の言葉で言えば「ホモソーシャル」な社会である。
伝統が通用する社会であり、その伝統をいかに守るかが大切な要因となってくる。それはつまり、伝統や風習で形作られてきた環境を守るためには個人が死ななくてはいけない社会である、ということである。
また、従来の伝統が外れた存在が発生した場合は、明文化した「法」といったものを適用せず(そもそもそのようなものは存在しない)、住民同士のある種の空気で物事を決めていく社会であるということである。そのような、現代的な言葉を使うとすれば「前近代的」かつ「動物的」な世の中なのが楢山節考で描写される社会の様相である。
2 楢山節考の前近代性
2.1 松やんの実家根絶やし
中盤の盛り上がりどころの一つとして、松やんとその一家が、村々の人間の襲撃に遭い、家を破壊され(最終的に家の前に幣を貼られる)、拉致され生き埋めにさせられるという描写がある。これは、村の掟により、村の人々の食料を盗んだ人は「楢山さんに謝る」という名目によるものである。しかし実態は家を破壊する過程で発見した盗品を皆で分け合い、もしくはその場で食らい、時に賭け事のチップ代わりにする、というある種の享楽を伴ったイベントであることがわかる。辰平家から芋を盗んでいるのが発覚した松やんを、辰平は脅迫するだけで処罰(殺し)まではしなかった。それは松やんが長男のけさ吉の恋人であるという事情も関連していたであろうが、そこでは盗みを働いた即吊るし上げて殺すということはしなかった。家の前で呆然としている松やんをおりんは家に入るように促してもいる。この時点では村の掟といえど、家族間の情の方が勝っているともいえる。しかし、松やんの盗みがその後も続いたのか、辰平家の一件を受けてのことなのかは定かではないが、おりんは松やんに家族に分けるようにと芋を持たせ、実家に帰らせる。辰平やおりんと松やんの間の家族の情といったものよりも、社会をまわしていくシステムの方が優先された瞬間である。そして、上記のような事態が起きる。松やん一家は、盗人を処罰するという名目で犠牲になったのだが、その一方で物資の少ない村の享楽のためのスケープゴートになったと捉えることができる。しかもそれはルールに定められてなにかを裁くのではなく、村の掟という非常に曖昧な物によって動物的に裁かれていく。
2.2 おりんの「山」行き
松やん一家が虐殺された後も、辰平の後妻である玉やんや、けさ吉の後妻である杉やんの登場により、おりんの仕事が続々と奪われていく。おりんは年齢の割には歯が丈夫で、家事もこなせていたが、若い女性の登場により仕事がどんどん取られていく。そのことを感じたおりんは自ら自分の歯を折ろうとする。そしてついに「山」行きを決意する。辰平はそれに反対するが、村の掟には逆らえず、母をおぶって「山」へ行くこととなる。最終的に登り切り「山」に母をおいて下山する。
おりんのような年老いた存在は、若い女性が仕事をこなせる世の中では足手まといでしかなく、ただの穀潰しとなる。しかもそれは厳しい山岳地帯では死活問題である。おりんはこのまま老いて死を待つ身であるのなら誰にも迷惑をかけずに死のうと、自分から「山」行きを決意する。そして、それはなにもおりんの特別な意思などではなく、「山」の最奥に無数の人骨があり、そのなかには死後幾ばくもたっていない遺骸の存在が描写されるとおり、ありふれていた風習である。そして、「社会」を回していくためには「個」が犠牲にならなくてはいけないという前近代性の描写であるともいえる。
辰平は掟より、おりんに話しかけることなく、振り返ることなく下山する。その道中雪が降り始める。それに感動した辰平は掟を破り、母親を置き去りにした最深部に引き返し、叫ぶ。「おっかあ、雪が降ってきたよう!」。これは、掟や社会システムを守るためには個人の意思や感情を無視する社会に対する抵抗、つまり感情の発露だったのではないかと解される。
3 まとめ
近代社会は個の権利を守るために人権という物を作り出し、法を整備することにより存続してきた。しかし依然として、一時期大流行し、今では日本語の一部と化した向きもある「空気を読む」という言葉に象徴されるように、和を乱さず、社会システムを守って行くには個が犠牲にならなくてはいけない(空気を読まなくてはいけない)という風潮はある。また、楢山節考で描写されたような、社会システムと個に介在する「感情」のせめぎ合いも興味深い。