Twitterより少し長い

140文字以上が目標

2021年読んで良かった本

今年の目標の一つに文章を書く練習というのがあるのでその実践と備忘録も兼ねて去年読んで良かった本を書くことにした。

去年は集中力がなかなか持続せず一つの本も落ち着いて読むことができず「気分転換になんか別の本読もー、あ、この本なら薄いし気分転換にサッと読めるでしょ」と高を括った結果思いの外難航して結果どっちも読めずじまいという典型的な二兎を追う者は一兎をも得ずをやってしまった。結果去年は漫画含め50冊しか読めないという体たらくで、まあ読んだ本の数でマウントをとってもしゃーないのだがしかしあまりにも少なすぎるでしょう。

ただその中でも読んで良かったなあと思うものはいくつかあったので書く。

Twitterを書くように文章を書きたいと常々思っているのだがいざ文章を最初から書こうとするとなんか詰まっちゃうんだよな。だから予めTwitterに書いて、それをそのままブログに転載するという天才的な方法を発見したのでそうすることにした。転載するにあたっていくつか追記・誤字修正をしているので、元のツイートはまとめからどうぞ。

 

 

 

小松左京『アダムの裔』

感想書こうとして探したんだけど掃除する時に段ボールの山に入れてしまって行方不明になっていたのでうろ覚え。とにかく現実をSFという形で皮肉るのがとてもうまい。

化猫店主浅羽通明がやっている古本屋*1で紹介されて買ったのだった。

「人類裁判」で人類が裁かれてからそこから人類が始まるのだ、というのはワクワクする。あとは表題作の「アダムの裔」(だったかな?)で詳細は忘れたんだけど男の進化の末にディルドがそのへんを縦横無尽に穴という穴に突っ込みまくるというのは読んでてめっちゃ面白かったし皮肉が効いてるなあと思った。小松左京、良かったなあ。面白かったのでみんな読んでほしい。すっげえ面白い。マジで。

前述の通り手元に見当たらないので漠然としたことしか言えないけど面白かった。

 

 

 

田島列島『水は海に向かって流れる』

2021年は漫画とお笑いを知る年にしようってんで決意したのだが結局お笑いしか知れず漫画に手を回せなかった。漫画はとりあえず「このマンガがすごい」のランキングを読んでいこうと思ったので、DMMのセールの時に手当り次第そのリストにあった中からあったものを買った。その中の『水は海に向かって流れる』(2020年オトコ編第5位)を読んだ。とってもよかった。

気分が落ち込んで「厳しい人厳しい」「人間には色々ある」と口癖のように呟いていた時に読んのだが、作中でも色々あったあとに最後のシンプルな結末に「まぁ人間には色々あるよなあ…」と肯定的な意味で思い直せたのでとても良かった。

「作品に救われた」「この作品が精神的な支えになった」とよく聞くし「そんなことなんかあるのかあ~?」と思っていたが実際『水は海に向かって流れる』に救われたのは事実だ。

本が知識が腹を満たせるのかという言説はあるし僕も概ねそれに賛成する(もっとも腹を満たせないからどうしたという開き直る立場でもあるが)ものだが実際これには救われた感じはある。

読み終わって以来再読はしていない。

あと絵柄が純粋に好み。

 

今年は漫画を読む年にすると決めてちくま文庫の「現代マンガ選集」を読んでいるのだが、まあそのような現代の古典だけじゃなく、現代の漫画も読んでいきたい。作り途中だが「このマンガがすごい」のリストも作っているのでしらみつぶしに読んでいきたい。

中田考タリバン 復権の真実』


旅先の本屋では一冊は買うと決めており、その原則に則って、稚内の本屋に立ち寄った時探していた時に見つけて買った本。地方の本屋には申し訳ないが、これは古本で買ったほうが良いよな(もう安くなってるし…)みたいな本が多く、いま定価で買ったほうが良い本を…となんとか探した時に見つけた。

よく異文化コミュニケーションという言葉が盛んに叫ばれるが、異文化を自文化に引きつけて考えるのではなく異文化を異文化として認識したうえでどう相対するかというのをタリバンの「復権」が示しているんだろうなあと思った。

タリバン復権したのにはそれ相応のそれ相当の論理と倫理があり、それを西洋基準(その基準軸に日本とて例外ではない)で考えること自体が無理がある、と。うーむ。

個人的に去年は相対化と絶対化のことをぼんやりと考えており、それがまさに当てはまった。

どんなイシューでも良いが、自分が身をおいている立場をただ盲目的に絶対のものとするのではなく、相対的に、つまり自分の立場意外の立場のことを把握すること。ただそれに拘泥して悪しき相対主義に陥るのではなく、そのことを把握したうえで、どの立場を選びとっていくのか(絶対化)ということを考えること抜きにはどーしょーもありませんなあという感じていた。

今回のタリバンの本は、まさに西欧近代文明社会である日本に生まれ育ちそのイデオロギーイデオロギーとして認識せぬまま生まれ育ち、せめてそのことを認識せねばなあと思っていた渦中に読めたのでとても良かった。

いいタイミングで偶然いい本に巡り会えたので旅行というものは良いものですなあ。

 

吉永剛志『NAM総括』
東浩紀『ゲンロン戦記』

個人的には同じ分類なので一緒に紹介しようと思った。

この二つを同じ年に同時期に読めたのはとても良かった。色々な人が書いている通りの月並みな感想だが事務の大事さと地道なことの大切さだよなあ。

隠すようなことでもないが、自分が所属している早稲田アナキズム研究会の事務連絡とかTwitter関係の仕事は全部僕がやっており*2、その他見えない部分での事務系は概ね僕がやっているので、まさに「そう、そうだよ、そうなんだよ」という気分だった。

プレイヤー(この場合は自立した自己主張できる個人、みたいな文脈)であることはまあ大事だし個人(たち)が自立して何かをやる、やろう、できるんだ、というのはすごく良いと思うしやるべきだと思うんだが、しかしその一方で、その個人が連帯し、一つのことを成すためには、その個人と個人をつなぎ合わせる役割というのが必然的に必要となる。それが事務というやつである。そういうところを軽んじるのはとてもよろしくないのではないかというのが諸々見ていても思うことだし、そういう裏方仕事も大事でしょ、ということを常々思う。本当に常々思う。

批評空間の読者なのでメーリスでの議論はうまいが議論がうまいだけという記述は苦笑いした。

だからといってプレイヤーであることを否定するわけではない、大事なのは役割分担であろうと思う。僕は対人コミュニケーションがとても苦手なのでそういう事務の仕事をやっている*3し、それ以外のメンバーは対人コミュニケーションスキルを発揮して色々な人を繋げたりしているし、色々な得意分野を持っている人がそれぞれでやっており、それでまあ上手く回っているので、よろしいのではないかと思う。役割分担ですなあ。

 

 

 

小林坩堝『小松川叙景』

小松川叙景』小林坩堝
詩集を買うのは生まれて初めてだと色々な人に言った記憶があるが大体僕が生まれてはじめてというときは全然そんなことなくて単に忘れているだけで実際以前井伏鱒二の『厄除け詩集』を買ったのだった。

先日、複数の団地を2日で合計15時間ポスティングするという経験をしたのだが、団地というのは人工的に機械的に作られた感じとその中で人間が非機械的に生きている感じが合わさっており、なるほどたしかに団地だなあ~という感想を持ち、詩の空虚な感じと人間味のある感じを身を持って実感した。面白かった。

 

おわり

*1:関係ないけど浅羽通明の古本屋は安いし良い本が多いので浅羽の思想とは無関係に行って損はない。オススメ。

twitter.com

*2:交流会の告知ツイートに添付している画像は全部僕が旅行した時に撮った写真である。

*3:事務仕事は基本的に必要な情報を必要なぶんだけ簡潔に伝えることが大事なので、相手の心情感情を慮ったりする必要があまりないのがとてもやりやすい。人の気持ちが分からない。人間には色々あるので。