Twitterより少し長い

140文字以上が目標

2021年読んで良かった本

今年の目標の一つに文章を書く練習というのがあるのでその実践と備忘録も兼ねて去年読んで良かった本を書くことにした。

去年は集中力がなかなか持続せず一つの本も落ち着いて読むことができず「気分転換になんか別の本読もー、あ、この本なら薄いし気分転換にサッと読めるでしょ」と高を括った結果思いの外難航して結果どっちも読めずじまいという典型的な二兎を追う者は一兎をも得ずをやってしまった。結果去年は漫画含め50冊しか読めないという体たらくで、まあ読んだ本の数でマウントをとってもしゃーないのだがしかしあまりにも少なすぎるでしょう。

ただその中でも読んで良かったなあと思うものはいくつかあったので書く。

Twitterを書くように文章を書きたいと常々思っているのだがいざ文章を最初から書こうとするとなんか詰まっちゃうんだよな。だから予めTwitterに書いて、それをそのままブログに転載するという天才的な方法を発見したのでそうすることにした。転載するにあたっていくつか追記・誤字修正をしているので、元のツイートはまとめからどうぞ。

 

 

 

小松左京『アダムの裔』

感想書こうとして探したんだけど掃除する時に段ボールの山に入れてしまって行方不明になっていたのでうろ覚え。とにかく現実をSFという形で皮肉るのがとてもうまい。

化猫店主浅羽通明がやっている古本屋*1で紹介されて買ったのだった。

「人類裁判」で人類が裁かれてからそこから人類が始まるのだ、というのはワクワクする。あとは表題作の「アダムの裔」(だったかな?)で詳細は忘れたんだけど男の進化の末にディルドがそのへんを縦横無尽に穴という穴に突っ込みまくるというのは読んでてめっちゃ面白かったし皮肉が効いてるなあと思った。小松左京、良かったなあ。面白かったのでみんな読んでほしい。すっげえ面白い。マジで。

前述の通り手元に見当たらないので漠然としたことしか言えないけど面白かった。

 

 

 

田島列島『水は海に向かって流れる』

2021年は漫画とお笑いを知る年にしようってんで決意したのだが結局お笑いしか知れず漫画に手を回せなかった。漫画はとりあえず「このマンガがすごい」のランキングを読んでいこうと思ったので、DMMのセールの時に手当り次第そのリストにあった中からあったものを買った。その中の『水は海に向かって流れる』(2020年オトコ編第5位)を読んだ。とってもよかった。

気分が落ち込んで「厳しい人厳しい」「人間には色々ある」と口癖のように呟いていた時に読んのだが、作中でも色々あったあとに最後のシンプルな結末に「まぁ人間には色々あるよなあ…」と肯定的な意味で思い直せたのでとても良かった。

「作品に救われた」「この作品が精神的な支えになった」とよく聞くし「そんなことなんかあるのかあ~?」と思っていたが実際『水は海に向かって流れる』に救われたのは事実だ。

本が知識が腹を満たせるのかという言説はあるし僕も概ねそれに賛成する(もっとも腹を満たせないからどうしたという開き直る立場でもあるが)ものだが実際これには救われた感じはある。

読み終わって以来再読はしていない。

あと絵柄が純粋に好み。

 

今年は漫画を読む年にすると決めてちくま文庫の「現代マンガ選集」を読んでいるのだが、まあそのような現代の古典だけじゃなく、現代の漫画も読んでいきたい。作り途中だが「このマンガがすごい」のリストも作っているのでしらみつぶしに読んでいきたい。

中田考タリバン 復権の真実』


旅先の本屋では一冊は買うと決めており、その原則に則って、稚内の本屋に立ち寄った時探していた時に見つけて買った本。地方の本屋には申し訳ないが、これは古本で買ったほうが良いよな(もう安くなってるし…)みたいな本が多く、いま定価で買ったほうが良い本を…となんとか探した時に見つけた。

よく異文化コミュニケーションという言葉が盛んに叫ばれるが、異文化を自文化に引きつけて考えるのではなく異文化を異文化として認識したうえでどう相対するかというのをタリバンの「復権」が示しているんだろうなあと思った。

タリバン復権したのにはそれ相応のそれ相当の論理と倫理があり、それを西洋基準(その基準軸に日本とて例外ではない)で考えること自体が無理がある、と。うーむ。

個人的に去年は相対化と絶対化のことをぼんやりと考えており、それがまさに当てはまった。

どんなイシューでも良いが、自分が身をおいている立場をただ盲目的に絶対のものとするのではなく、相対的に、つまり自分の立場意外の立場のことを把握すること。ただそれに拘泥して悪しき相対主義に陥るのではなく、そのことを把握したうえで、どの立場を選びとっていくのか(絶対化)ということを考えること抜きにはどーしょーもありませんなあという感じていた。

今回のタリバンの本は、まさに西欧近代文明社会である日本に生まれ育ちそのイデオロギーイデオロギーとして認識せぬまま生まれ育ち、せめてそのことを認識せねばなあと思っていた渦中に読めたのでとても良かった。

いいタイミングで偶然いい本に巡り会えたので旅行というものは良いものですなあ。

 

吉永剛志『NAM総括』
東浩紀『ゲンロン戦記』

個人的には同じ分類なので一緒に紹介しようと思った。

この二つを同じ年に同時期に読めたのはとても良かった。色々な人が書いている通りの月並みな感想だが事務の大事さと地道なことの大切さだよなあ。

隠すようなことでもないが、自分が所属している早稲田アナキズム研究会の事務連絡とかTwitter関係の仕事は全部僕がやっており*2、その他見えない部分での事務系は概ね僕がやっているので、まさに「そう、そうだよ、そうなんだよ」という気分だった。

プレイヤー(この場合は自立した自己主張できる個人、みたいな文脈)であることはまあ大事だし個人(たち)が自立して何かをやる、やろう、できるんだ、というのはすごく良いと思うしやるべきだと思うんだが、しかしその一方で、その個人が連帯し、一つのことを成すためには、その個人と個人をつなぎ合わせる役割というのが必然的に必要となる。それが事務というやつである。そういうところを軽んじるのはとてもよろしくないのではないかというのが諸々見ていても思うことだし、そういう裏方仕事も大事でしょ、ということを常々思う。本当に常々思う。

批評空間の読者なのでメーリスでの議論はうまいが議論がうまいだけという記述は苦笑いした。

だからといってプレイヤーであることを否定するわけではない、大事なのは役割分担であろうと思う。僕は対人コミュニケーションがとても苦手なのでそういう事務の仕事をやっている*3し、それ以外のメンバーは対人コミュニケーションスキルを発揮して色々な人を繋げたりしているし、色々な得意分野を持っている人がそれぞれでやっており、それでまあ上手く回っているので、よろしいのではないかと思う。役割分担ですなあ。

 

 

 

小林坩堝『小松川叙景』

小松川叙景』小林坩堝
詩集を買うのは生まれて初めてだと色々な人に言った記憶があるが大体僕が生まれてはじめてというときは全然そんなことなくて単に忘れているだけで実際以前井伏鱒二の『厄除け詩集』を買ったのだった。

先日、複数の団地を2日で合計15時間ポスティングするという経験をしたのだが、団地というのは人工的に機械的に作られた感じとその中で人間が非機械的に生きている感じが合わさっており、なるほどたしかに団地だなあ~という感想を持ち、詩の空虚な感じと人間味のある感じを身を持って実感した。面白かった。

 

おわり

*1:関係ないけど浅羽通明の古本屋は安いし良い本が多いので浅羽の思想とは無関係に行って損はない。オススメ。

twitter.com

*2:交流会の告知ツイートに添付している画像は全部僕が旅行した時に撮った写真である。

*3:事務仕事は基本的に必要な情報を必要なぶんだけ簡潔に伝えることが大事なので、相手の心情感情を慮ったりする必要があまりないのがとてもやりやすい。人の気持ちが分からない。人間には色々あるので。

国際勝共連合

国際勝共連合が街宣していてしかも最初から聴けそうな雰囲気だったのでこれ幸いとばかりに昼食を食べるのも忘れて弁士二人の文字を随時聴きながらリアルタイムで文字起こしをしていた。主張の賛否はともかく(というか否なんだが)話を聴いてみるのは悪くないかなと思って聴いた。以下文字起こしのコピペ。文字起こしをそのままコピペしてるので、こまかな部分の誤字脱字等々は直していない。

 

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一人目

 

1968年の創設以来共産主義の間違いを主張してきた。
オリパラは無事開催できた。
2024年はパリへ引き継ぎできた。
始まる前は賛否両論言われていた。始まってみると日本の選手の活躍は素晴らしい、勇気と元気をもらった。
いい加減なこと言ってたテレビのコメンテーター達、反対と言っていたがはじまるや否や掌を返し選手を褒めちぎることを言っていたのがマスコミ。
我々はコロナ禍でも粛々と日本人のおもてなしの心を持って開催しようということを訴えてきた。
日本でなければコロナ禍でオリンピックを開催することはできなかったと海外の国々から言われた。
日本人・日本民族として誇り。

さて、いま自民党の総裁選が行われている。
どれになってもコロナ禍においては厳しいものとなる。
ある野党の党首が言っていた、自民党総裁選は衆議院選挙の予選であり、衆議院選挙が本選である。

今日は国際勝共連合は原典に立ち返って野党共闘と言われる立憲民主・共産党・社民・令和維新の会(?)・市民連合
これらが手を結びやっていこうという協約を結んだ。

野党共闘において共産党の姿・野党共闘の危険な部分を訴える。

自民党公明党政策・政治にはうんざりという人が多くいるだろう。
しかし安易に野党共闘を応援することはできない。そこにちょっと待ったと言うのが我々。
共産党とはどんな政党か。
彼らのいう共産党とは私有財産がないことであります。
志位委員長は「我々はごねない政党だ」と言っている。彼らは中国の共産党とは違うというが、共産党共産党である。
具体的には耳障りの良いことを言いながら近づいて来る。これは皆さんを利用するために近づいているのだ。
野党共闘だが、立民と共産を手を組んでいるが国民民主は中道だから手を組んでいないし連合も手を組んでいない。
選挙のための野合である。
横浜市長選でも野党共闘してトップが誕生した(聞き取れず)。
共産党は政権の中に食い込み、力を発揮することを目論む。その後に民主連合政府を立てることを目論んでいる。
元々共産党コミンテルンの日本支社として建てられた。日本の中でできた政党ではない。ソ連コミンテルン共産党の日本支社として作られたのだが日共。
中共は100年、日共は99年。彼らは名前を変えないと言っているが、名前を変えたら共産主義社会の実現ができなくなるから変えないのだ。
憲政党だと彼らはことあるごとに言っている。
が、しかし、いまの憲法ができるとき、当時の党首野坂参三は現憲法について「国軍も持たない憲法で国が守れるか」と言っている。
昔はいまの憲法に反対していた。
だが、あるタイミングで護憲に転じた。それは活動しやすいからだ。
平和政党とか言っているが真っ赤な嘘だ。彼らの革命を推進するための嘘だ。
彼らは共産党憲法を作っている。
共産主義革命が起きたときに私有財産がなくなる。その時に民主主義がなくなる。
彼らは野党連合を呼びかけ、立憲やその他の政党にすり寄っている。
他の政党は日共の目論見をどこまで理解しているのか。
例え野党共闘して現在の政権を倒してもおそらくその政権はまとまりがつかない政権になることは間違いない。それぞれ考えが違うわけだし。
共産党は戦争に反対してきた平和な政党でいると言っているが真っ赤な嘘です。はっきり言って。
かつての戦争において日共というよりもソ連コミンテルンから派遣されたスパイの輩達が日本を戦争へ引き摺り込んでいった。彼らは何をしたかというと、戦争、敗戦に乗じて革命を行おうとしていた。
あの当時近衛内閣の中には政府中枢の中に共産主義を隠して入っていた人たちがいた。
そいつらが国の方針を共産主義の方へ持っていた。
また、戦争を革命に転化しようとしていた。
日本初の銀行ギャングも日共がやった。
ミヤケンがスパイをリンチして殺した。
そういうのを平気でやる人たちだ。
自分たちが特攻警察に追われて大変だと言っている。たしかにそこは大変だったかもしれないが、革命して転覆しようとしていたから特攻に狙われたのである。
朝鮮戦争の頃、大津事件や火炎瓶闘争等々過激なことをやっていた。
それをいま彼らはひた隠しに隠している。実際それらをやっていたのだ。
平和な憲法だと言っているが、なぜ共産党破防法の対象になっているかというとそういう活動をしてきたからである。しかもその路線を未だ変更していない。
そのようなことをしてきたにも関わらず自分たちは間違ったことをしていたと誤ったことをしていたと誤ったことは全くない。
時期を誤ったとか詭弁を弄して謝っていない。
そういう詭弁を使う政党。嘘を平気でつく。
そういう中で現在の中でLGBT同性婚の問題は彼らにとって革命の手段として焚き付け、自分に有利なように動かし、国にいちゃもんをつけて、自分の政権奪取に繋がるように動いている。

そうした活動家で各地で動いている。
我々の仲間から聞いた話だが沖縄は基地問題に関心がない。活動家が本土から入り込んで基地にお仕事として反対闘争を繰り広げている。
外から見れば地元の人がやってるなーと思うが過激派の活動家が入り込んでいるのが事実。

彼らは天皇制に反対。天皇ブルジョワジーである。

米軍に反対。それは中国や北朝鮮に脅威になり得ることを考えていない。
米軍駐留の弊害はありますが、自衛隊は軍隊では日本は守れない。

自衛隊は解体と言っている。

心配だ、立憲さんも心配だ。

そうした政党が野党共闘しましょうと囁いているのが今の東京である。

都知事選もよく分からない選挙だったが、後半三日間ほど小池さんが出てきてマスコミを賑やかしただけであんなに票が入ってしまう。
一人区も自民党は惨敗した。それは数の力で負けたのと、野党共闘で耳障りの良いことを聞かされた無党派層がなんとなく入れたのが実情。

良く耳をすませて聞かねばならん、彼らが何を言って何を考えているのか。その裏には何があるのか。

いまの政権を潰すことがある。野党共闘については注意しましょう。野党共闘には注意しましょう。ぜひ皆さん野党共闘には注意して、共産党の耳障りの良い言葉には注意しましょう。

 

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二人目

 

私たちは政治団体国際勝共連合です。
9月下旬となったし天気もいいがコロナの終息まで至ってないので乗り越えていきましょう。

オリンピック、アフガニスタン、9.11
アメリカとオーストラリアとフランスの間で同盟組むと関係がこじれている。
様々なことが起きている。

その中心は中国共産党、民主主義陣営、自由主義陣営がどう立ち向かうか。
それらが上記同盟と関わっている。

自民党の政策、インド太平洋構想を実現すると外交安全保障政策では変わりがない。
自民党の総裁候補4人言えますか。
河野さんと岸田さんは外務大臣防衛大臣を経験した方です。日米同盟を堅持して中国について立ち向かうという姿勢は一致している。
河野岸田高市について外交安全保障政策には変わりはない。
家庭政策について焦点を当ててみるべき。

河野さんは自民党の党員並びに党員以外の世論調査では支持率はトップ。
そういう結果であるがこれがどうなるのか。そして日本の行く末、さらには世界の問題にはどういう影響を与えるのか知ってほしい。

河野さんは発信力がある。説明が上手いのでしょう。最大の問題点は共産主義の問題が良くわかっていない。
共産主義マルクス・レーニン主義だけではない、西欧マルクス主義、文化共産主義がわかってない。
西欧マルクス主義とは→マルクスの主張は暴力革命を主張し、資本家と労働者の貧富の格差の際、資本家を打倒し、財産を奪い、それらを共有化する。それがマルクス唯物史観
しかし歴史は高度発展資本主義で革命は起きてないし、それ以外は良く発展してないし、(聞こえない)

暴力革命を肯定するのがマルクス・レーニン主義だが、それを否定したのが西欧マルクス主義・文化共産主義である。
ww1ではマルクス主義は敗北した。プロレタリア同士が殺し合った。そこでマルクス主義は挫折した。
フランクフルト学派たちが新しいマルクス主義を作った。西欧マルクス主義
暴力革命を用いないで共産主義を実現していく。ww2でナチスドイツの迫害を恐れて、アメリカに。ヒッピームーブメントやフリーセックスでどんどん悪くなっていった。
文化共産主義は既存の価値観を破壊していく。
既存の価値観とは、宗教=家庭である。
家庭とは宗教が伝わっていく現場。既存の価値観を打ち破らないと共産主義が伝わらない。キリスト教を打ち破らないとマルクス社会主義共産主義は実現しない。
フランクフルト学派は既存の価値観を破壊せんと様々な理論を打ち立てた。
LGBTや差別のない社会という世界中がイエスと言わざるを得ない雰囲気になっている。野党、立民共産は(聞き取れず)
本来キリスト教の教えでは同性婚は禁じられているが、キリスト教国で既に同性婚が認められている。
これが共産主義の思惑と一致している。
同性婚の合法化は日本ではリベラル・左翼勢力が暗躍している。
同性婚を認めると一夫一婦制が形骸化され、婚外子が増え、家庭が崩壊する。
町中ゲイやカップルで溢れる。
LGBTの権利擁護はもちろん大事。
ただ、しかし同性婚を推奨し、また、社会を変革しようとする勢力が背後にある。
同性婚の法制化に社会主義勢力は力を注いでいる。
その前段階として夫婦別姓女系天皇がある。
結婚した女性は同姓を名乗ると法律で決まっている。
ただ、選べる、また、子供も選べる。
韓国では父親の名前に統一。
しかし日本の選択的夫婦別姓は選べてしまう。親子で姓が違う、兄弟で姓が違う。保守派はこれを家族の崩壊として問題としている。
私は夫婦別姓の問題はやってみないと分からない。
ただ、夫婦別姓女系天皇同性婚、これは共産主義勢力の3点セット。
私はこれらは、共産主義勢力の脅威がなければ、認めてもいいと思っている。
ただ、共産主義勢力がどんどん拡大しているいまやるべきではない。

差別禁止法案、選択的夫婦別姓、さらに同性婚を法制化しようとしている。
ここには共産主義の勢力がある。

河野氏夫婦別姓同性婚に賛成している。非常に嘆かわしいことである。

結婚した女性が旧姓を使えない、この問題は私も認識している。
ただ、高市さんが言う様に通称で良い。

日本の皇室の歴史は126代、男系の皇統。神武以来男系である。女性天皇はいたが男系の天皇を受け継いだ女性天皇が即位し男系として受け継がれてきた。

日本の天皇の歴史、こうき2681年、その正統性を主張するのが血統・男子の血統、皇室の正統性の所以。
女系天皇を認めれば神武天皇以来の血統が途絶える。
眞子さまが小室さんと結婚する。悠仁様が天皇になり、そのあと眞子さま小室さんの子供が天皇になったら小室家の血統になる。
女系天皇天皇制の終わりの始まり。
したがって日共も女系天皇は容認すると言っている。これは女性天皇を認めれば天皇制がなくなると思っているからだ。

河野氏女系天皇同性婚を認めている。こんな人が総理になったら日本が潰れる。
安倍元総理も日本が壊れると言っている。

夫婦別姓女系天皇同性婚共産主義3点セット。

キリスト教が2000年かけて普及してきたように2000年かけてもマルクスの思想を植え付けようてしている恐ろしい思想である。

そうなったら日本は壊れて中国に飲み込まれる。

国家は国の家と書く。家庭が破壊されると国力も衰弱する。それが共産主義の狙い。

そうさせないためにも家庭基盤・国家安全保障の情報が必要。

高市さんが総理になればいいが議員票がまだまだ足りない。当初より票を伸ばしたが三番手。おそらく決選投票で河野さんと岸田さんの決戦。そこに高市さんが食い込めが良いが…むしろそうならないといけない。
岸田さんは夫婦別姓は議論が必要と言っている。旧姓が使えないことの不便は存じていると言っている。ただ子供の姓がどこで決まるのかについては納得してない。
岸田さんの総理はまだ見込みがある。保守派の意見を封じてまで封じ込めることはない。
問題は河野さんが党員票・国会議員票で過半数を取ってしまう。これは亡国である。
自民党は国民の100人に1人。
もし投票権がある方は岸田さんか高市さん。

私は衆院選より自民党総裁選の方が大事。もし河野さんが総理になっても自民党を応援せざるを得ない。
立民や日共などに反対せねばならない。

特定秘密保護法、平和安全法制ーー日共は共謀罪というがーーテロ等防止法を含む組織犯罪処罰法、それらを廃案にすると四党合意。
さらにLGBTの権利擁護に賛同した。
これらが政権を取ると家庭が破壊され、21世紀の後半、子供の世代孫の世代にそういうことが起きるかもしれない。
我々の選択が次の世代に反映される。
共産主義は間違っているというところを認識していただきたい。
繰り返しますが、夫婦別姓女系天皇同性婚共産主義3点セットである。

 

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小林哲夫著『平成・令和 学生たちの社会運動』読書感想文

はじめに

 

林哲夫による『平成・令和 学生たちの社会運動 SEALDs、民青、過激派、独自グループ』という本が刊行された。



「本書が次の世代が社会と向き合うときの資料として、のちに学者が社会学政治学の観点から参考にできる記録集として、活用していただければ嬉しい。」(p.11) とある通り、2000年代後半の社会における学生の様々な運動を網羅的に記述した本である。

面白そうだったので読んでみたところ、ちょっとこれはどうなのかと疑問に思うところがあった。なので、二、三指摘したいと思う。

 

 

お前は誰だ&注意事項

私は、副題では「独自グループ」にジャンル分けされるところの当事者である(後述するが、著者から取材を受けたこともある)。この本の中に記されている運動を直接経験(あるいは主導)したこともある。だが、伝聞で追体験したものもある。なので、(特に追体験に関しては)間違いや事実誤認もあるであろうことはお断りしたい。ここが違う、等あればいつでも連絡してほしい。

また、この文章はこのブログにアップすると同時に、筆者である小林哲夫にも送っている。だが、本書にも随所で見られるように、仮名で取材協力している人がいる。また、文章の特性上、運動をしている中で知り得た他人に対する個人情報が多分に含まれる。なので、このブログではそれらの情報を、出して良いものと出してはまずいものに振り分けることにした。主な基準としては、本書で隠されている情報は隠し、現時点で、各個人が主体的な意思で公開している、TwitterFacebookなどの各種SNSの投稿などの情報は公開情報として扱った。隠した情報は本文で黒塗りした箇所である(著者送付分とブログアップ分で書き直すのは普通に面倒なので)。本の感想として成り立つことと、個人情報との兼ね合いを配慮して記述した。だが、不備や不満があると思われる。なので、本文中でここの情報は隠して欲しい、等があったら随時連絡してほしい。

本文中では敬称略とした。心苦しかったがそうした。ただ後述の杜夫ちゃんは杜夫ちゃんとしか言いようがなかったので杜夫ちゃんとした。

事実誤認、端的に誤り、不足が認められる箇所

 

「要請するなら補償しろ!デモ」について

 

「要請するなら補償しろ!デモ」とは2020年のコロナ情勢・緊急事態宣言情勢下において行われた全五回のデモシリーズである。

私は、第一回から参加し、第二回からは実行委員としてこの一連のデモシリーズに参加した。

デモ・集会の様子はデモや集会を中心に目にも止まらぬスピードで手早く撮影をするカメラマン秋山理央が豊富な写真とともにまとめている。

全五回のデモは毎回名前と実行場所が若干異なる。

第一回 2020年4月12日「要請するなら補償しろ!デモ」渋谷

第二回 2020年4月26日 「要請するなら”もっと”補償しろ!デモ」 渋谷

第三回 2020年5月5日 「延長するなら補償しろ!デモ」高円寺

第四回 2020年5月24日 「要請したなら補償しろ!デモ」秋葉原

第五回 2020年5月31日 「解除しようが補償しろ!デモ」渋谷

 

本来ならばオフィシャルな告知方法であったTwitterアカウントとそのツイートを紹介するところである。しかし、アカウントは現在凍結されている。

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さて、本書では「要請するなら補償しろ!デモ」シリーズはどのように記述されているだろうか。

まず第1章の「2010年代から2020年代へ 学生が訴える」の初っ端から紹介されている。

 

2020年5月24日、東京秋葉原で「要請するなら補償しろ」を訴えるデモ、集会が行われ、こんなコールが響きわたった p.14

 

「要請したなら補償しろ」集会、デモは4月22日、26日、5月5日にも行われている。場所は渋谷、高円寺だ、さすがにこのころ、「不要不急の外出自粛」が徹底されつつあるなか、街には人が少なかった。p.16

 

14ページの記述の「」の中は、「訴える」という動詞の具体的な内容(目的語)と解釈することもできるため、まあ明確に間違いというわけではない(前述のとおり、5月24日の秋葉原でのデモ名は「要請したなら補償しろ!デモ」である)。

しかし、16ページの「「要請したなら補償しろ」集会、デモは」から始まる文章はやや正確性を欠いている。

まず、当事者として私は「要請したなら補償しろ!デモ」のシリーズはトータルとして「要請するなら補償しろ!デモ」だと認識していることがある。また、『情況』2020年夏号に載ったインタビューも「インタビュー 要請するなら補償しろ!デモ」(p.134)とある。█████████████████████
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なので、共通認識として「要請するなら補償しろ!デモ」が(第一回の渋谷デモの名前であり)一連のデモシリーズ総体としての名称と認識されていたといって間違いない。「要請したなら補償しろ!デモ」はあくまで5月24日秋葉原で行われたデモの名義である。

また、先述のとおり「要請するなら補償しろ!デモ」シリーズは計五回行われた。このページの時勢は5月24日の話をしていることは文脈で読み取れるが、5月31日にもデモを行なっている。締め切り等の関係で書ききれなかったのか、とも思ったが、248ページに、2020年12月に京大であった「京大学生処分撤回・阻止 12月緊急集会」の紹介をしているので、明らかに書く余裕はあったはずである。不十分の感が否めない。

 

また、第5章の各大学の特色を挙げる章と第6章の外山恒一に影響を与えられた人々の章で、それぞれ田中駿介と紅川ヒミコの名前が挙げられ紹介されている。

 

もっとも、慶應義塾大の大多数の学生の政治意識は、他大学とそれほど変わらないだろう。おそらく東京大生の自民党支持率(中略)とそう大差はないはずだ。それについては、20年5月、東京で「要請したなら補償しろ」を掲げて安倍政権打倒を訴えていた慶應義塾大の田中駿介さん(中略)も指摘している。(p.234)

外山合宿出身のデモ参加者は多い。20年5月の「要請したなら補償しろ」デモに参加した紅川ヒミコさん(北海道大中退)もその1人だ。(p.301)

 

田中がどう指摘しようと構わない*1 。田中に関しての記述は14ページの時と同じく「」の中が「掲げて」の目的語となっていると読めるので、文意的に間違いではないが、もやもやとしたものが残る。

紅川に関しては16ページの時の問題と同じである。5月は「延長するなら」(5日・高円寺)「要請したなら」(24日・秋葉原)「解除しようが」(31日・渋谷)の三回デモが行われたので、その中の「要請したなら」だけを狙って記述したのは全くもって謎である。総体としてのデモシリーズの話をしたいのなら、やはり「要請するなら」を使うべきであろう。

また、「デモに参加した紅川ヒミコ」とあるが、そもそも彼女はデモの主催者、というか、そもそもの発端となった人物である(『情況』2020夏号p.135)。田中の紹介が「「要請したなら補償しろ」を掲げて安倍政権打倒を訴えていた」となる一方、紅川の紹介が「「要請したなら補償しろ」デモに参加した」なのは、紹介として不十分と言わざるを得ない(もちろん田中はデモにおいて先頭でシュプレヒコールを扇動するなど積極的な役割をしていたことは否定しない)。

この文には私の主観も含まれる。なので、実行委の中にはそうではない、という人もいよう。だが、もし、著者が総体としての名称を記したいならやはりそのように書くべきであろう。 

 

アナキズム研究会」について

第6章の5節「外山恒一氏に魅了された学生たち」で、外山の影響力を示すエピソードが紹介されている。それが「アナキズム研究会」である。

 

外山氏はSNSで「大学にアナキズム研究会創設を」と訴えたことがある。これに反応した外山合宿参加学生が、北海道教育大学アナキズム研究会、中央大学アナキズム研究会、早稲田アナキズム研究会、筑波大アナーキズム研究会、立命館大学アナキズム研究会を作っている。とはいっても、街頭でデモを行う、というわけではない。読書会、勉強会が中心だ。國學院大學穴開きズム研究会というグループもある。p.301-302

この文章は3つ(4つ)の要素に分けられる。

①外山氏がSNSで「大学にアナキズム研究会創設を」と訴えたこと

②②-1「この呼びかけに反応した」②-2「外山合宿参加学生が各大学にアナキズム研究会を設立した」

③このアナキズム研究会はデモを行うものではなく、読書会や勉強会が中心であること

 

これらの記述は果たして事実だろうか。

 

まず①から検討する。

確かに、外山恒一SNSアナキズム研究会創設を訴えたことがある。

2020年にnoteにアップされた、2015年1月1日に発刊された「人民の敵」第4号の、2014年12月4日に収録された千坂恭二との対談において、千坂の発言を外山自身がリンクしている。

 

これは2013年の9月30日につぶやかれたツイートである。

これに限らず、いくつか同趣旨のツイートを残している*2

 

その約1ヶ月後、外山は以下のツイートをし、その「成果」を誇っている。

 

もちろん程度のほどは知らないし、どのくらいの組織実態があったのかも今となっては分からない(千坂が発言している通り、「アナ研を名乗ってはみたものの、どう活動していいのか分からなければ、結局また〝鍋〟をやるとか、そういうことになりがちなんだ。そんなことでは〝アナキズム研究会〟にはなら」ず「それなりの実体が伴わないと、そのうち飽きたらやめてしま」ったのかもしれない)。しかし、少なくとも外山恒一が「大学にアナキズム研究会創設を」と呼びかけたのは間違いない。

 

次に②-1について検討する。

 

2015年11月にアカウントが創設された北海道教育大学アナキズム研究会は「外山恒一氏の「各大学にアナキズム研究会を!」という呼びかけに感化された初代会長が作ったアカウント」とツイートしている*3

 

 

 

筑波大アナーキズム研究会はどうだろうか。

 

2014年10月22日に元の「本垢」から分離させて、アナーキズム研究会を立ち上げることをツイートしている。だが、その「本垢」を確認すると、「勝手にアナーキズム研究会を名乗ってみた。」と発言している通り、外山のツイートの時期と合致するものの、外山の呼びかけたツイート日から一日前である。

 

外山恒一イデオロギーの共感者ではない」としつつ「左右の垣根に関わらず反スタ的に学生運動を始めていくんだという呼びかけに多少の共感があって「アナ研」という名で始めてい」ると言っている。

 

つまり、細かな事情は推測できないにせよ、元々現在「塩・油・鉄」というアカウント名で発言している@ioriveurが、当初はアナーキズム研究会と名乗っていた(外山の初発のツイートの1日前なことに関する理由は不明)ものの、外山の呼びかけに思うところがあり、分離独立させ独自のアカウントを作った、ということになるだろう。

 

立命館大学アナキズム研究会も、外山恒一の呼びかけに触発されたアカウントではある。

 

 

中央大学アナキズム研究会、早稲田アナキズム研究会に関しては②-2で論じる。

 

 

國學院大學穴開きズム研究会に関しては飲み会と内々ゲバ(複数のアカウント管理者に右派と左派がおり、ある政治的イシューに対して同じアカウントから複数異論が出てタイムラインを埋めるという迷惑な現象)と穴が空いているもの(ex:ちくわ)を探すことと白ポストを探すことと革マル派学生自治会(主に中村さん)をいじることとこくぴょんのコラ画像を作りながら3割うまいぎょうざの満州を食っているだけのアカウントである。たまにデモに出ている。中の人間が國學院大學関係者というだけで、「アナキズム研究会」の流れに紹介するのは違うのではないか。自分でも言っている(なおアカウントの特性上「中の人」の意見が強く出た可能性もあるが、まあそう言っているのだからそうなのだと信用するしかない。私は個人的に外山合宿に参加した穴開きの「中の人」を知っている)。

 

 

次に②-2について検討する。

アナキズム研究会の設立をした学生ははたして外山合宿参加学生なのであろうか。

外山が自分のホームページにアップしている「我々団活動年譜」から、現在閲覧できる2019年の8月までの、外山合宿に参加した学生の所属大学をピックアップする。

 

第一回(2014年8月)    日大2、高千穂大、総合研究大学院大、京大、関大、阪大、西南学院大、浪人生など11名

第二回(2015年3月)    東大・京大・早大の計3名

第三回(2015年8月)    福井県立大、群馬女子大、京大、阪大、熊本大などから計9名

第四回(2016年3月)    北大・筑波大・東京理科大・ICU・京大2・同志社大金沢学院大、そして高校生1名に特別参加の愛知学院大の非常勤講師1名の計10名

第五回(2016年8月)    早大2・東京外語大・日大・滋賀大・阪大・大阪芸大・九州大など計9名

第六回(2017年3月)    聖学院大・高崎経済大・早大2・京都産業大京都精華大・京都造形芸術大・大阪芸術大・西南学院大2・九州大、そして高校生1名の計12名

第七回(2017年8月)    早大・中大2・京大5、さらに高校生とフリーター1名ずつの計10名

第八回(2018年3月)    北大4・東北学院大・信州大・上智大・早大2・慶大・成蹊大・中大・岐阜大・立命館2・神戸大・近畿大、そして半ばスタッフ側の群馬女子大OGの計18名

第九回(2018年8月)    京都工芸繊維大・立命館大・一橋大・聖学院大・亜細亜大・九州大・東京工業大2、さらに高校生1名ずつの計9名

第十回(2019年3月)    北大・高崎経済大・早大同志社大・京大・阪大・九大・熊本大、そして関西の浪人生と高校生の計10名

第十一回(2019年8月)    筑波大・明海大・早大東京海洋大・岡山大・山口大、さらに中学生1名の計7名

 

 

次に、小林が挙げている各大学のアナキズム研究会のアカウント設立月を確認する。

 

北海道教育大学アナキズム研究会

アカウント作成月 2015年11月

 

中央大学アナキズム研究会(消滅)

アカウント作成月 2017年9月

 

早稲田アナキズム研究会

アカウント作成月 2017年4月

 

筑波大アナーキズム研究会

アカウント作成月 2014年10月

 

立命館大学アナキズム研究会

アカウント作成月 2013年10月

となる。

 

外山が呼びかけたのが2013年の9月末、そしてその成果を誇ったのが10月末、さらに、人民の敵で、Twitterで盛んに言論を発表し、ついにはTwitter(及びFacebook)の発言を出版するに至った千坂の発言と認識(「外山君の呼びかけもあって全国の大学に〝自称アナ研(アナキズム研究会)〟がいっぱいできたでしょ。」)を勘案しても、外山がSNSで訴え、それが「ムーブメント(?)」として起こったのは2013年夏から2014年末の話である。若干論理と証明に難があるのは承知の上での話である。

 

北海道教育大学に関しては、外山合宿に参加した記録がない。

 

中央大学アナキズム研究会に関しては、私が当事者である。上記第七回の2017年8月に参加した中大2のうちの一人が私である。中央大学アナキズム研究会は、外山合宿でたまたま知り合った同大学同学部の杜夫ちゃんと私が意気投合して始めた団体である。その後、近年関西で色々悪い方の噂しか聞かない「池田名誉会長」や、共有のTwitterアカウントを「乗っ取り」、好き勝手なことを呟きまくった謎の挙動をする「ほー」の計4人集まった。だが、下二人の謎の挙動(政治界オルタナ圏の対人能力やばすぎ問題)や、杜夫ちゃんの定期的な連絡消失癖に嫌気がさし、最終的に作ってちょうど一年で杜夫ちゃんと私の二人で潰してしまった。

創設した初期の頃に著者に私と杜夫ちゃんでインタビューを受けている。p.302の「ファシストと言っているわりには主張がものすごくまともで分かりやすい」から始まる中央大学の学生の話は私か杜夫ちゃんのどちらかの言葉である(多分私である)。確かに外山合宿参加者ではある。だが、2013年の呼びかけに直接応答したわけではない。

きっかけは杜夫ちゃんのこの何気ないワンツイートだからだ(もちろん杜夫ちゃんが外山のツイートを意識したのかもしれないので、そこは杜夫ちゃんに聞いてみないといけないが、少なくとも私は直接の影響はないと認識している)。

 

 

早稲田アナキズム研究会に関しては第六回の2017年3月に参加した███████ホリと██████ハラが、ホリの上京に伴い創設した団体である。なお、早稲田アナキズム研究会の「早稲田」は「大学」ではなく「地名」であり、②-2の前半部分は合ってるとしても、後半部分は間違っている。また、②-1に関しても、██████████████「西南アナキズム研究会(後述)」にネーミングの影響を受けているであろう。何より、設立年月が2017年4月と外山の呼びかけから時間が経ちすぎている。

 

また、筑波大学に関しても、その大学から初めて参加した人は2016年3月である。筑波大学アナーキズム研究会のアカウント作成年月は2014年10月なので、明らかに時間軸がずれている。

 

立命館アナキズム研究会に関しても、立命館大学からの参加者は2018年3月が最初である。さらに言うならば、立命館アナキズム研究会のアカウントが、外山恒一の合宿に参加したことがない、と言っている。時系列もさることながら、その当人が参加したことがないと言っているのだからそうであろう。

 

 

 

 

 

最後に③について検討する。

そもそも外山は「実体など無くてもかまわない」と言っているとおり、あくまで不穏な雰囲気醸成のためのアカウント作成を呼びかけている。その時点で、デモをするのではなく読書会、勉強会中心と記述することはまったくもってナンセンスである。もっとも、自分だけの話で言うならば、中央大学アナキズム研究会は大学において、読書会以外の活動を多少した。

付言するならば、外山の呼びかけ以前に立ち上げられたサークルではあり、外山の近傍で活動していた感は否めないものの、全国大学のアナキズム研究会の中で一番活動的であった、西南アナキズム研究会を載せないのは、明らかに調査不足であろう。

直接行動(学生ハンスト実)について

私にとって直接行動、特に学生ハンスト実の人たちは「先輩」にあたる存在である。彼らと知り合ったのもハンストが終わり、「直接行動」として活動している時期である(「直接行動」が主催した「学生メーデー」に私は参加したことがある)。なので、ハンスト実についてはよく知らない。だが、今までその先輩方から聞いた話と、本書の記述の時系列に間違いがあると思われるので、指摘する。

まず、本書でどのように記述されているかを確認する。

 

15年安保、SEALDsではない、民青でもない。そして、中核派でもない学生たちがいた。彼らは「直接行動」あるいは「ハンスト実」(安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会)と名乗っていた。2015年8月27日から9月2日まで、参議院会館、国会正門前で「直接行動」は安保関連法案に反対するハンストを行った。ハンストには慶應義塾大、上智大、専修大、東京福祉大、立正大、早稲田大の学生が参加した。p.266

 

2015年8月、国会前でハンストを行った上智大、専修大、早稲田大の「直接行動」の学生たち p.268写真キャプション

 

私が今まで諸先輩方から聞いた話を解するに、「学生ハンスト実」が改組された組織が「直接行動」である。

では彼らはどのように発信しているか。

 

そもそも「ハンスト実」(安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会)は、その団体名の正式名称にもあるとおり、2015年の安全保障関連法案制定を、ハンガーストライキという行動で阻止・抗議するために立ち上げられた団体である。

彼らは148時間ハンストを続け、その活動を終えている。

その後、横浜地方公聴会後の国会前デモで、メンバーが逮捕されたことに対する抗議活動(のち釈放)等様々な活動を経て、安保法制制定を契機とし、10月末に組織名の変更を告知。

 

さらに、12月にシンポジウムを開催することを告知すると同時に、ハンスト実の改組・新団体化を告知。

 

 

 

その予告通り、シンポジウムの最後に新団体へ改組することを提起。

その翌日にはFacebook上で、ハンスト実の総括と新団体「直接行動」の活動方針を打ち立てる。 

 

 

 

彼らは以降、ハンスト実ではなく「直接行動」として活動を始める。

 

 

 

このように、ハンスト実は直接行動の別名ではなく、ハンスト実が改組・新団体化したものが「直接行動」である(メンバーが被る等の実態はともかくとしても)。

本書では、p.266引用第一文目は「「直接行動」あるいは「ハンスト実」(安保関連法案制定を阻止し、安倍政権を打倒するための学生ハンスト実行委員会)と名乗っていた」だが、ここで「あるいは」という言葉を使うのは間違いであろう。

p.266引用第二文目は「2015年8月27日から9月2日まで、参議院会館、国会正門前で「直接行動」は安保関連法案に反対するハンストを行った。」だが、ハンストを行った組織は「ハンスト実」であるので、ここで「直接行動」という言葉を使うのは間違いであろう。

p.266引用第三文目は「ハンストには慶應義塾大、上智大、専修大、東京福祉大、立正大、早稲田大の学生が参加した。」だが、次の次のページ(p.268)の写真キャプション「2015年8月、国会前でハンストを行った上智大、専修大、早稲田大の「直接行動」の学生たち」にあるとおり、ハンストをしたのは「上智大、専修大、早稲田大の(中略)学生たち」であろう。他の大学の人たちは「ハンスト実」には参加したかもしれないが、ハンストはしていないであろう。

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ここで他の大学の人もハンストをしたと読める文章を書くのは間違いであろう。

また、上で(中略)と略した、p.268写真キャプション文中の箇所も「直接行動」ではなく「ハンスト実」であろう。

ホリィ・セン

これは単純な誤記である。

 

京都大周辺には何軒かシェアハウスがある。その1つ、サクラ荘を運営する京都大大学院人間・環境学研究科修士課程のホリイ・センさんはこう説明する。p.256

 

ホリイさんはサクラ荘から外山合宿(299ページ参照)に何人か送り出している。p.257

知り合いであり、教養強化合宿の先輩である人の名前は「ホリィ・セン」である。カタカナのイは捨て仮名である。

 



態度の問題

ここからは著者の態度の問題であり、事実関係等々を論じることはしない。だが、読んでいて違和感を持った箇所を指摘する。

 

第6章の副々題について

第6章は「独自に活動を続ける学生たち ーーSEALDsだけではない。俺たちもいる」という副題、副々題である。

ここで問題にしたいのは「俺たち」という表記である。

一般的に「俺」は男性の使う一人称であると理解されている。「独自グループ」の紹介の副々題の主語に「俺たち」という語を使うことに女性の視点が欠落しているのではないのか、という問題提起がまず最初のものである。

もちろん、私個人としては、総体として一人称複数形を使うその意図は理解できるし、そこまでめくじらを立てなくても良いのではないか、という気持ちもある。

だが、筆者は第9章の最後――本書本編の最後――で「すべての馬鹿げた革命に抗して」を挙げ、学生による社会運動の現場で行われた女性搾取構造の告発を強い問題意識をもって紹介している。

 

社会運動の周辺で、女子学生の人権を大きく損なうような性差別や性暴力などが起こった――それが課題である。15年安保時における負の記録、と言っていい。(p.422-423)

15年、国会前の学生による運動は、男女が平等に振る舞うことができるという意味で「過去の運動とは異なる」「新時代の」学生運動として取り上げられたが、現実は、その象徴として女性メンバーの肖像が消費され続けた。(p.425)

 

この問題意識自体はとても政治的に正しく真っ当な指摘であろう。運動の現場で男性により女性が虐げられた現場は多くあるだろう(と同時に自分も虐げているかを省みねばならない)(と言及することが政治的に正しい振る舞いであるとされることに作為的ないやらしさと息苦しさを同時に覚えるが)。であるならば、筆者も副々題にわざわざ男性性を象徴する(と社会的に受容されている)一人称(複数系)を使うのはいかがなものだろうか。これは事実誤認ではなく、態度の問題である。

 

「過激派」の元号表記について

第7章は「過激派」、要は中核派の章である。中核派の内情についてはよく知らないし、読んでてほーんなるほどなあ、と思った。個人的には京大熊野寮で立て看板を作っているとき*4に、本文でインタビューされていた吉田耕に「平沢進?いいね」と褒められたことが嬉しかった記憶として残っている(たしか。あと、熊野寮中核派缶バッジを吉田にもらった記憶がある*5)。あとは法政大の武田雄飛丸の父親が武田崇元であるというのは「界隈」の真偽不明のゴシップネタとして消費されていたがここでも記されておりやっぱりそうだったんだーの気持ちである。

 

さて問題はまたもや題の話である。第7章は「平成・令和の「過激派」学生――「極左暴力集団」と嫌われながら生き残る」である。

ここで問題にしたいのは、「過激派」学生を修飾する語として「平成・令和」という表記が果たして適切か、という点である。

常識から確認するが元号は基本的に天皇が変わるたびに変更される。

つまる話が元号天皇制と強く結びついたシステムである。

そして、基本的な理解として新左翼一般は天皇制に強く反対している。インタビューされている一人である斎藤郁真が、先日あった今の天皇の誕生日の記者会見の「お言葉」に強い反感のツイートをしていることは一例にすぎない。

 

 

 

 

 

筆者がそのことを知ってか知らないかは知る術はないが、それでも章題に持ってくるのが果たして適切だろうか、という疑問は残る。

もちろん、本書の題が『平成・令和 学生たちの社会運動』なので、章題に持ってくるのは必然性がないとは言えない。

だがそれなら、第1章の「2010年代から2020年代へ 学生が訴える」の章も「平成から令和へ 学生が訴える」とすればいい。本文で多様される「15年安保」も「平成27年安保」とでもすれば良い(もちろん「安保闘争」自体は「60年安保」に代表的に見られるように、固有名詞感がある言葉なのでこれはほぼイチャモンに等しいが)。

また、前の章で西暦を使ったから、後の章で西暦が続くのはちょっと…というレトリック的な理解もできなくもない。であるならば、SEALDsやそういう運動の部分を「平成・令和」表記にするべきではないのか。少なくとも、SEALDsのイシューとして天皇制に反対するだとかそういうのは聞いたことがない。これは事実誤認ではなく、態度の問題である。

(過激派の最後に、革マル派革労協両派の全学連委員の名前が列挙されていたが、その中で、解放派赤砦社が赤「砕」社と誤記されていた。「聖なる(赤い)血に塗れ」、「砦の上に我らが世界」を「勇ましく」「築き固め」るのが彼らなのだから、砕いてはいけないだろう。これでは反共集団である。)

(また、330ページの法政大の中核派として武田雄飛丸が紹介されているが、下の名前が遊飛丸と誤って記されている。)

 

右派について

これはTwitterで誰かが言っててなるほどと思ったから言及するが、本書は主に左派系の社会運動が紹介されている。だが、右派系の学生の社会運動は全くと言っていいほど紹介されていない。個人的に周囲には社会のことを真剣に考えている右派の学生の人を何人か知っているので、そこを紹介しないのは明らかに「偏り」があるなあと思わざるを得ない(と同時にその時期の右派の学生による運動がどの規模であったのか、という問題はあるが)。これは事実誤認ではなく、態度の問題である。

 

終わりに

 

人民新聞2021年2月15日、通巻1741号8面において、前述した「直接行動」の橘内優一が、本書で紹介された仮名A氏が「特定可能な形で出身学校名や活動歴、その他重大なプライバシーや虚偽の事実が無断で掲載された」と指摘している。A氏は著者と出版社に抗議。橘内が著者に取材したところ、著者は「事前にAさんへ掲載確認できなかったことを後悔し、申し訳なさを感じている」とコメントしている。

橘内はこの書評を「ジャーナリズムに誠実さを求めたい」と結んでいる。私としても同感で、今まで多かれ少なかれ何らかの運動に関わってきて、さらに筆者からも取材を受けた立場として、ジャーナリズムに誠実さを求めたいと思っている。



【純粋な感想】

・私は基本的にSEALDsとかその辺の社会運動に対して批判的なので、彼らがどのようなモチベーションで動いていたのかを知れて勉強になった。その中でも、SEALDs近傍で写真を多く撮っていたカメラマンの日本大・植田千晶の行動は素直にすごいと思った。横浜地方公聴会の、シットインなどの逮捕覚悟の抗議運動に対して、逮捕者を絶対出さない、というSEALDsの原則を曲げてでも、撮影しに行ったという姿勢は素直にすごいと思う。「行くなと言われて、はあと思った。写真を撮る人が現場に行かないのはおかしい。特に危険な思いはせず、伝えなければと思いシャッターを切りました」(p.75)という精神がとても良いと思った。

・私は2020年に、他の大学の例に漏れず、中央大学の学費減額を求める署名を始めた。結果は惨憺たるもので、大学の堅固さを知った。その過程で他大の学費減額運動をやっている人と知り合ったのだが、どことなく見え隠れする「民青」感が否めなかった。運動仲間から「あそこは民青」とか「民青のフロント団体」という噂は聞いており、彼らの言動を観察するに、なんか別の違う団体(上の組織)がありそうだな、という気配がした。だが、それを問うこともなく、私を含め多くの大学の学費減額運動は敗北衰退していった。筆者にはそこをもっと突っ込んで取材してほしかった(もちろんメインが15年安保なのだから致し方ないのだが)。さすが曲がりなりにも歴史と伝統を誇る日本随一のセクト日本共産党を「相談相手」とする、これまた共青以来の歴史と伝統を継ぐ組織と言ったところであろう。p.166で筆者が「組織に閉ざされた一面があり」「民青という組織の公開、情報発信が大いに求められる。」と言っているとおり、一筋縄では行かないのであろう。だが、そこはジャーナリスト、もうちょっと頑張ってほしい。情報が天から降ってくるわけではないことは私なんかよりよくご存知のはずである。

・第9章のp397で、若者の政治参画をテーマにNPOで活動している大空幸星が紹介されている。大空さんは大学の学費減額を求める署名運動に関わっているという。私も学費減額の運動をしているとき大空に誘われ、Slackのチャンネルに入った。だが、自己紹介をして以来何の進捗もなく、そこからそろそろ一年が経とうとしている。どういうことやねん。

 

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*1:個人的には酒が入った時の彼のあのうるさい歌声はいつまでも耳に残って迷惑なのでやめてほしいと思う。田中の歌声を社会問題として提起すべきとは思う。

*2:https://twitter.com/toyamakoichi/status/391502847885340672

https://twitter.com/toyamakoichi/status/392682812475572224

*3:なおこのアカウントはその後ほぼ全ていくつかのbotツイートを垂れ流すアカウントと化しているので、最初期の「中の人」が手書きで打ったであろうツイート(Twitter  Web Client!)がなんとなく哀しい

*4:https://www.bengo4.com/c_23/n_7906/

*5:このツイート画像にある中核派缶バッジがそれである。 https://twitter.com/culture_human/status/1115615156724097025

千坂恭二論文の誤読を巡る個人的な闘い

発端

千坂恭二は『バクーニンクロポトキン アナキズムマルクス主義者の対立史観の由来について』という論文で以下のように書いている。

 

議会政治への模索を図った第二インターの主導権を握ったマルクス主義者は、反議会の暴力主義路線のバクーニンの後継者たちを排除し、一方、排除されたバクーニンの後継者たちは、第一インターでの多数派だったという自己認識からマルクス主義者という政治屋たちのインターとは異なる革命的なインターを形成したのだった(所謂「黒色インター」)」。(千坂,2009,p.103)

 


この後に、「アナキズム」という主義と「マルクス主義」というイズムの出自の由来が語られる。とても重要な指摘なのだが、しかしそれは本論の趣旨ではない(卒論で書いている)。

この文章を一読すると「ああ、第二インターマルクス主義者たちはバクーニンの後継者たちを排除して、それに反発する形でバクーニンの後継者たちは黒色インターを結成するのだな」と読める。

 

参考文献①

しかし、ジョージ・ウドコックは『アナキズム(思想篇)』において、以下のように述べている。

 

一八七二年から一八八一年のかの有名な“黒色インタナショナル“会議に至るまでは、彼らは純粋なアナキストのインタナショナルを作ろうとし、この衝動は、一八八〇年代と一八九〇年代初期に開かれた一連のあまり成功とはいえぬ会議を通じて、弱まりつつも持続した。(Woodcook,1962,白井訳,1968,p.2)

 


これを私は「ああ、“黒色インタナショナル会議“は1872年から1881年まで続いたのね」と読んだ。また、1880年代と1890年代初期に開かれた〜というのは第二インターで排除されつつなんとかやってきたということへの言及なのかな、とも思った。

 

参考文献②

さらに、『バクーニン著作集』第1巻の巻末にある「ミハイロ・アレクサンドロヴィチ・バクーニン年表」を参照する。この年表の一八七二年(五八歳)の欄、末尾にはこう書いてある。

 

インターナショナルのハーグ大会開かれ、マルクスバクーニンの「同盟」とネチャーエフ事件について報告。バクーニンとギヨームの除名を決議。(後略)

バクーニン派を糾合し、サン=ティミエにもう一つのインターナショナル大会を開く。ハーグ大会の諸決議を否認。(左近,1973,p296)

 

疑問

ここで一つの疑問が湧いてくる。「黒色インターはいつの時代にできたのか」

 


ここで、私が先日より作成している19世紀の社会運動有名人の手書き略年表を参照しよう。

f:id:culbun:20201205225745p:image

 

 


千坂論文は、黒色インターは、第二インター、つまり1889年にマルクス主義者から排除されたあとにバクーニンの後継者が作ったものであると読める(実際、第二インターからアナキストが排除されたという史実はある)。

ウドコックは、黒色インターが1872年、つまり第一インターの最中に作られたものだと説明している(ように読める)。そして、それを裏付けるようにバクーニン年表」でバクーニンは1872年にもう一つのインターナショナルを開いている。

ここに矛盾が生じる。

黒色インターは、1889年の第二インターの時にできたのか(千坂論文)、それとも、1872年のハーグ大会でバクーニン派が除名されて以降にできたのか(ウドコック、バクーニン著作集)。

 

混乱


当初は千坂論文が間違っているのではないかと思い、千坂さんに質問のリプライを飛ばそうかと考えた。しかし、文章を書いてものを食べている(多分)人に無料で質問をしようというのはおこがましいのではないかという意識と、もしかしたら私が間違っているのではないかという意識が働き、ためらいを覚えた。

そこで、近くにいた人に事の成り行きを説明してみることにした。説明することにより、私の理解の再確認と、誤解の指摘を狙ったのである。

人はこう指摘した。

「(ウドコックの)「かの有名な“黒色インタナショナル“会議」って、1872年から1881年まで継続したものではないのではないか」

確かに盲点だった。少なくとも第一インターは、組織体としてはあるものの、なにか運動をするというより、インテリたちが派閥を作って会議をしている組織という側面があったので、黒色インターもそういうものだと思い込んでいた。

 

 

参考文献③


ここで、W.Z.フォスターが執筆した『国際社会主義運動史』を参照する。フォスターはアメリ共産党を再建した存在である。ウドコックもバクーニン著作集も、アナキズム「側」の書籍なので、明確にマルクス主義派の人間(本文にはバクーニンのことを、明らかに不当ではと思われる程度の批判もある)が書いた文章を参考にしようと考えた。

 

ハーグ大会は、インタナショナル内部で分裂活動をおこなったという理由で、バクーニンその他の無政府主義者の除名を決定した。しかしバクーニン主義者はこの大会決定の承認を拒否した。それどころか、これらの決定やニューヨーク移転によって、国際労働者協会(第一インター:引用者注)事実上解散したのだと声明し、ただちに自分たち自身の組織を作ることに着手して、事実上はこれこそほんとうの国際労働者協会なのだと主張した。したがってその後数年のあいだは、二つのインタナショナルが存在し、ともに同じ名称をもち、ともに世界の労働者代表だと称していたのである。(Foster,1955,長洲訳,1956,p112上段)

一八七二年九月のハーグでの国際労働者協会第五回終了から数日たって、反対派の無政府主義勢力はスイスのサン・ティミエで大会を開いた。(中略)これだけの人々が大会にあつまり、自分たちこそインタナショナルだと主張し、インタナショナルの名で行動した。(同上下段)

バクーニン主義のインタナショナルがほんとうに生きていたのは、一八七二年から七七年までであった。(中略)彼らの公式機関紙『ジュラ連合会報』の最後の号は、一八七八年三月一五日に出た。(同上,p114上段)

一八八一年七月に、無政府主義者はロンドンの大会で、自分たちの仕事を国際的に復活させるために大きな努力をはらった。この結果できたのが、いわゆる「黒色インターナショナル」〔後出の国際労働民衆協会〕である。(同上下段)


謎は全て解決した。

結論からいうと、9割が私の誤読と歴史知識の欠如、1割が筆者の書き方の問題であった。

 

解決と解釈


まず、ウドコックの方から解説する。

ウドコックは「一八七二年から一八八一年のかの有名な“黒色インタナショナル“会議に至るまで」という文章を、前述の通り、“黒色インタナショナル“会議が1872年から1881年までの間行われている(第一インターのような)組織だと誤読していた。しかし、それは間違いで、「一八七二年から」のあとに読点を入れて、「(第一インターのハーグ大会でバクーニンらが除名された)一八七二年から、/一八八一年の(に開催された)かの有名な“黒色インタナショナル“会議に至るまで」と読むべきであった。

 

そして問題は千坂論文である。再確認すると、以下の文章である。

 

議会政治への模索を図った第二インターの主導権を握ったマルクス主義者は、反議会の暴力主義路線のバクーニンの後継者たちを排除し、一方、排除されたバクーニンの後継者たちは、第一インターでの多数派だったという自己認識からマルクス主義者という政治屋たちのインターとは異なる革命的なインターを形成したのだった(所謂「黒色インター」)。(千坂,2009,p.103)

 


まず、この文章の一番目の主語は「第二インターの主導権を握ったマルクス主義者」である。これの時間軸は、ぱっと見第二インター時の話をしているように読めるが、まだ第二インターの時の話ではないようにも読むことは可能である(そしてそちらの可能性であることが後述するように分かる)。

次に、上述の主語に対応する述語の部分が「反議会の暴力主義路線のバクーニン主義者の後継者たちを排除し」である。これは、たしかに第一インター、ハーグ大会の時の話に読める。しかし、そうでないときの話にも読めなくはない(後述するようにそう読むのが正しい読み方である)。

一方で接続される二番目の主語は「排除されたバクーニンの後継者たちは」である。これも、第一インター、ハーグ大会の時の話にも、第二インターの時に排除された話にも読める

続く二番目の主語に対応する述語が「第一インターでの多数派だったという自己認識からマルクス主義者という政治屋たちのインターとは異なる革命的なインターを形成したのだった(所謂「黒色インター」)」である。ここで明確に、黒色インターの成立が宣言される。そして、黒色インターの成立は、フォスター(と誤読していたウドコック)の記述を信じるならば、1882年である

つまり、この文章は、第一インター解散(1876年)後、第二インター設立(1889年)前の時期の話をしていたのであった。この事実を元に、千坂論文を、補足を入れつつ再度確認すると、以下のようになる。

 

第一インター解散後)議会政治への模索を図った(のちに)第二インターの主導権を握った(握ることになる)マルクス主義者は、マルクス主義者たちの運動圏から)反議会の暴力主義路線のバクーニンの後継者たちを排除し、一方、排除されたバクーニンの後継者たちは、(当時)第一インターでの多数派だったという自己認識からマルクス主義者という政治屋たちのインターとは異なる(サン・ティミエ大会を開いたバクーニン派の第一インターの運動を、終わりかけていたがなんとかまとめあげる形で)革命的なインターを形成したのだった(所謂「黒色インター」)。(千坂,2009,p.103)

 


あまりリーダーフレンドリーな文章とは言えないが、歴史を丹念に追っていくことでなんとなくの理解が可能になった。

以上が、小一時間かけて考え、時には人に質問し、得た結論である。

 

感想

そんなこと考えてる暇があったら卒論を書けばいいのに。

 


参考文献

ウドコック、ジョージ『アナキズムⅠ』(思想篇)白井厚訳、紀伊國屋書店、1968年

左近毅ほか訳『バクーニン著作集 1』白水社、1973年

千坂恭二バクーニンクロポトキン アナキズムマルクス主義者の対立史観の由来について」『情況』、情況出版、2009年5月号、pp.94-105

フォスター、ウィリアム『国際社会主義運動史 上巻』長洲一二・田島昌夫訳、大月書店、1956年

中曽根葬儀

珍しく朝早く起きられたので雨だけど外出することにした。少し考えて品川へ行くことにした。政府と自民党が主催の中曽根の葬儀がどんなものか見に行こうと思った。

家に帰ってTwitterを見ると、道路を渡れなかったと言っている人がいた。『ぼそぼそ声のフェミニズム』の著者・栗田隆子さんが渡れなかったと言っているツイートが流れてきた。

後述するが、私は道路を渡れた。そして、会場の外の道路を歩くことができた。会場の外では何があったのか。あくまで自分の体験だが、記憶している範囲で記述する。

電車を乗り継ぎ、品川駅に着いた。中央出口には、喪服を着た「中曽根葬儀シャトルバスはこちら」とカードを持った女性がいた。しばらく歩くと同じようなカードを持った男性もいた。高輪口の階段を降りる。駅前ロータリーでビラ配りをしている人がいた。中曽根のプラカードを持っている人もいた。賛成派か反対派かよくわからなかった。また、ビラをもらったことによりなんか色々言われても困るので貰わなかった。後でTwitterを見たらそこで中核派が街宣をやってたことを知った(中核派だけではないと思うが)。歩道と車道の間に、警察(多分)*1が多くおり、異様な雰囲気であった。ロータリーにも大型輸送車が三台があってさらに異様さを醸し出していた。

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品川駅の高輪口駅前

 

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横断歩道を渡った(渡れた)時の写真

 

何事もなく道路を渡り、歩道橋を渡る。駅前だけでも異様だったが、その異様さをより強く感じたのは坂を登ってからであった。

 

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歩道橋から

 

坂には警察(多分)が数メートル間隔で立っていた。歩いてたら声をかけられた。「この先に行かれるんですか?」。「警視庁」と書いてあるジャケットを着ている恰幅のいい男だった。しかし、特に身分を示す手帳は示されていない。警視庁というジャケットを羽織ったコスプレイヤーかもしれない。何よりも知らない人(しかもいきなり話しかけてきた人)と喋る趣味はないので無視した。男は続けて「カバンの中を見せてくれ」とも言ってきた。だが、友達でもない人にカバンの中を見せる筋合いはない。「結構です」と言って立ち去った。

坂を登り切り、右手に見えるのが会場のグランドプリンスホテル新高輪国際館パミールである。

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雨の中傘もささずに写り込んできた謎の人物



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しばらく歩くと、T字路にカメラを持った人が大勢いた。メディア関係者なのかもしれない。一人で立っていて警察(多分)に何か言われてもアレなので、そのカメラマンたちの群れの中にいることにした。

高級そうな車や「通過」と書いた紙が貼ってある車、車の先端部にどこかの国の旗が取り付けられたおよそ日本の公道ではマイノリティであると思われるナンバープレートを取り付けた車が通り過ぎ、カメラマンたちがそれらを撮るのをボーッと見ていた。

しばらくすると警察(多分)がカメラマンに何か話しかけ、何かを指示した。すると群れが一斉に動き出した。指示の声がよく聞こえず、流れに任されるままに私もあわせて移動した。カメラマンの話をよく聞くと、彼らは中曽根葬儀の写真を撮るのが目的というより、参列する皇族を撮影するのが主目的だということが分かった。撮影はせず、ひとめ皇族が見たいというだけの人もいたようである。車列は同じ道路を通るので、我々は体よく会場から遠ざけられたのである。

しばらく待つと赤いランプを点滅させたバイクを先頭に車列が通った。周囲の警察(多分)に緊張が走った気がした。私も車列を見てはいたが、窓ガラスが黒かったので、誰がどうとかはあまり良く分からなかった(そもそも誰の宮の誰が来るのかも知らなかったので顔もよく知らない)。周囲で見てた人や写真を撮っていた人は果たして面白かったのだろうか。警備車両とかが撮れたから良いのかな。

緊張も解け、流れ解散の雰囲気になった。私は国際館パミールを横目に、坂の上まで戻った。*2なぜ坂の上に戻ったかというと、そこには佛所護念会教団という新宗教の高輪教会があるからである。

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教会正面



私は新宗教が好きで、よく(公道から、信者の邪魔にならないように)撮っている。*3

興味深いのは、その高輪教会の駐車場には、警察車両が停められていたことだ。謎。

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これだけでは分かりにくいが、大型輸送車が何台かあった



手持ち無沙汰になったので、周囲を散歩する(というか今までもずっと散歩だったのだが)。しばらく歩いたところにもちょいちょい警察(多分)がいる。車の中でリクライニングをフルにして暇そうにしてる警察(多分)、手持ち無沙汰に警棒をぐるぐるしてる警察(多分)、服を交換してる警察(多分)などを見た。総じてみんな暇そうにしていた。

途中で警察に囲まれながら坂を下る人がいた。後から追うと人は品川駅前のショッピングモールの中に入っていった。スーツを着た片耳イヤホンのガタイの良い男複数人がショッピングモールの中に入って行った。制服を着た警察(多分)は複数人で外に立っていた。

道路を渡ったがなんとなく気になったので、品川駅側でショッピングモールの方面をぼーっと見ていた。すると、先述のようなスーツを着た男が同じようにショッピングモールをじっと見ながら立っていた。小一時間くらいしたら制服を着た警察(多分)が撤収した。すると、そのタイミングで、そのスーツ男がどこかに電話をした。そして、道路を渡りショッピングモールの方向へ向かって行った。

その頃には、到着した時に見かけた警備車両はなく、現場にいるのも飽き飽きしてきたので、帰ることにした。

 

*1:ここで(多分)と言っているのは、本当に警察かどうかが確証が取れないことによる。以後も同様である。世の中には警察と名乗らないで警察活動をしようとしてくる謎の人物がいる。末法の世である。リンク参照 https://hbol.jp/220288 

*2:その過程で14:10を迎えた。特に異変等はなかった。なんとなく静かだった気がしたが、信号が赤信号になっていただけだと思う。

*3:撮った写真をInstagramにアップしている。ご興味があればどうぞ。https://www.instagram.com/usednext/ 

第7回 外山(自主)合宿 実施要項

日程

8月15日〜8月25日

※教養強化合宿は8月15日が実質最終日で、自主合宿評議会本部はその日夜の歓送会から参加します。

 

●場所

ファシスト党〈我々団〉アジト(外山恒一氏私邸)(福岡県福岡市)

 

●読書会

2020年8月18日、22日

●課題図書

未定。参加予定者から公募予定。公募期間・決定については続報を待て!

7月24日追記:すみません、公募しないまま決めてしまいました。申し訳ありません。

 

8月18日 第一回読書会課題図書

「デモ」とは何か 変貌する直接民主主義 (NHKブックス)

「デモ」とは何か 変貌する直接民主主義 (NHKブックス)

  • 作者:五野井 郁夫
  • 発売日: 2012/04/26
  • メディア: 単行本(ソフトカバー)
 

 

8月22日 第二回読書会課題図書

※どの会とも事前に読むことを推奨します(読書会中に時間は設けますが、議論が優先となるため短いものと思われます)。

 

 

●第7回記念特別企画

海に遊びに行く!日程は未定!

 

●外山(自主)合宿を開催する目的

1.ファシスト党〈我々団〉アジトに保管されている文献・資料・映像等を、各々の学習・趣味に活用するため。

2.全国の学生及びその他の人間と交流することで、お互いの活動・運動に影響を与え合ったり、学びを深めたりするため。

 

●参加費

カンパ制 ※経済的に著しく困窮している希望者には個別に応相談。

 

●参加条件

1. 下記の人物(外山恒一を除く三名を外山(自主)合宿評議会本部会員とする)のいずれかと知り合いであるか、もしくは、知り合いになること。共通の知り合いからの紹介でも可。

外山恒一・髙瀬萌・中﨑クルス(文化系クルス)・亜細亜アナキズム研究会会長

2. 共同生活をする上で必要な最低限の協調性を持ち、合宿の自治運営を実行すること。 

3. 評議会本部に対し、有事の際に人物を特定するための情報として、本名・電話番号・所属(学校・団体等)を開示すること。 

4. 規則を遵守すること。 

5. 上記 2.3.4.に関して、全面的に同意するか、評議会本部と話し合った上で双方が納得すること。

 

●規則

1. 正午までに起床すること。

2. 昼・夕食はなるべく全員でとること。

3. 皿洗いは、食事を作った人以外ですること。

4. シスヘテロ男子は2階に上がらないこと。 

5. 週に一度は全員で掃除をすること。 

6. 参加者同士、真摯に対話すること。

7. 組織・党派へのオルグ禁止!

 

●外山(自主)合宿における自治

合宿期間中、合宿参加者と外山恒一氏はファシスト党〈我々団〉アジトで共同生活をする。アジトとはいえ一般的な一軒家であるため、他人同士が一緒に生活するには不都合な点もある。その状況下で参加者各自が「開催する目的」を達成するためには、参加者全員が安定して生活できるようお互いに配慮し合うことが必要不可欠である。

よって、参加者の生活を脅かす行為は「開催する目的」を妨げる行為と見なし、その場で話し合い(評議会会議)をし、対応を決定する。この合宿を有意義な活動にして継続していくためには、いかなる些細な問題も、誰かが我慢することで片付けてはならない。なぜなら、この合宿が有意義だったかどうかを判断するには、参加者がどれだけ楽しめたかが最も重要だからである。

また、この合宿をどうやって楽しむかは個人の自由だが、その自由は制限されたものであるということを忘れてはいけない。「自由」の範囲を間違えた人間の行動は、自治を破壊する。それを防ぐのは、外山恒一氏でも規則でも評議会本部でもなく、参加者の行動そのものである。

参加する同志諸君が、ただ参加しているのではなく合宿を運営する一員であるという意識を持ち、大学、ひいては社会から消されようとしている『自治』とは何かを考えて実行しながら学習・交流し、生活することを求める。 消費者でいるのは、もうやめよう。

 

●注意点

合宿に参加した時点で、参加者は全員、外山(自主)合宿評議会の会員になり、合宿の運営等について発言する権利を持つ。会費や定例会議等は無く、参加者全員が当事者意識を持てるようにすることが目的である。 議長は髙瀬萌、書記長は中﨑クルス(文化系クルス)。


●連絡先

外山(自主)合宿評議会本部 jgh_hotmail_gmail@yahoo.co.jp

髙瀬 萌 Twitter@origoto_ama_i

中﨑クルス Twitter@culture_human

亜細亜アナキズム研究会 Twitter@ASIA_ANARCHISM

 

●文責

外山(自主)合宿 評議会議長 髙瀬 萌 

2018年(平成30年)6月14日

2019年(平成31年)2月25日 改定

2019年(令和元年)7月12日 改定

2020年(令和2年)2月1日 改定

2020年(令和2年)7月16日 改定

 

第6回 外山(自主)合宿実施要項

●日程
 3月21日〜3月31日

※教養強化合宿は3月21日が実質最終日で、自主合宿運営はその日夜の飲み会から参加します。
 
●場所
ファシスト党「我々団」アジト(外山恒一氏私邸)(福岡県)
 
●課題図書

『文化防衛論』

三島由紀夫

ちくま文庫

※期間中に読書会アリ


●外山(自主)合宿を開催する目的 
1.ファシスト党〈我々団〉アジトに保管されている文献・資料・映像等を、各々の学習・趣味に活用するため。
2.全国の学生及びその他の人間と交流することで、お互いの活動・運動に影響を与え合ったり、応援し合ったりするため。
 
●参加費
無料(カンパ制)※経済的に著しく困窮している希望者には個別に応相談。
 
●参加条件 
1. 下記の人物のいずれかと知り合いであるか、もしくは、知り合いになること。共通の知り合いからの紹介でも可。
外山恒一・髙瀬萌・中﨑クルス(文化系クルス)・亜細アナ研・八木・諏訪
2. 共同生活をする上で必要な自治意識を理解し、合宿の自治運営を実行すること。 
3. 合宿評議会本部に対し、何かあった際に人物を特定するための情報として、本名・電話番号・所属(学校・団体等)を開示すること。 
4. 規則を遵守すること。 
5. 上記 2.3.4.に関して、全面的に同意するか、評議会本部と話し合った上で双方が納得すること。
 
●規則 
1. 正午までに起床すること。 
2. 昼・夕食はなるべく全員でとること。 
3. 皿洗いは、食事を作った人以外ですること。 
4. 男子は2階に上がらないこと。(場合により応相談) 
5. 週に1回は全員で掃除をすること。 
6. 比較的人数が多い日があれば、読書会もしくは勉強会と、飲み会を開催すること。文献や題材は参加者同士で話し合って決めること。 
7. 参加者同士、真摯に対話すること。
8. 組織・党派へのオルグ禁止!
 
●外山(自主)合宿における自治
合宿期間中、合宿参加者と外山恒一氏は〈我々団〉アジトで共同生活をする。アジトとはいえ一般的な一軒家であるため、他人同士が一緒に生活するには不都合な点もある。 その状況下で参加者各自が「開催する目的」を達成するために は、参加者全員が安定して生活できるよう、お互いに配慮し合うことが必要不可欠である。 
よって、参加者の生活を脅かす行為は「開催する目的」を妨げる行為と見なし、その場で話し合い(評議会会議)をし、対応を決定する。 この合宿を有意義な活動にして継続していくためには、いかなる些細な問題も、誰かが我慢することで片付けてはならない。なぜなら、この合宿が有意義だったかどうかを判断するには、参加者がどれだけ楽しめたかが最も重要だからである。 
また、この合宿をどうやって「楽しむ」かは個人の自由だが、その「自由」は制限されたものであるということを忘れてはいけない。「自由」の範囲を間違えた人間の行動は、自治を破壊する。それを防ぐのは、外山恒一氏でも規則でも運営でもなく、参加者の行動そのものである。 
参加する同志諸君が、ただ参加しているのではなく合宿を運営する一員であるという意識を持ち、大学、ひいては社会から消されようとしている『自治』とは何かを考えて実行しながら学習・交流し、生活することを求める。 消費者でいるのは、もうやめよう。
 
●注意点
合宿に参加した時点で、参加者は全員、外山(自主)合宿評議会の会員になり、合宿の運営等について発言する権利を持つ。会費や定例会議等は無 く、参加者全員が当事者意識を持てるようにすることが目的である。 議長は髙瀬萌、書記長は中﨑クルス(文化系クルス)。
 
文責 
外山(自主)合宿 評議会議長 髙瀬 萌 
2018年(平成30年)6月14日
2019年(平成31年)2月25日 改定
2019年(令和元年)7月12日 改定
2020年(令和2年)2月1日 改定