Twitterより少し長い

140文字以上が目標

新年

昨年は大変お世話になりました。

昨年は心身共に変化が大きくて、それも相まって心身が不調になることが多く、現実の人間関係だけでなく、タイムラインの皆様に非常に見苦しい姿をお見せしたかと思います。今年は(も)健康に気を付けて生きて行こうと思います。引き続きご指導ご鞭撻のほどよろしくお願い致します。


さて、昨年が始まるにあたり目標を立てておりました。

・もう少し図々しくなる

・理性と感性の上手な使い分け

・健康

・脱党派性

の四つであります。


その中の健康に関しては課題の多い一年であったと感じるので、詳述しようと思います。

ただ、全て私の経験則なので、困ったら何事も医師に頼る、ということを第一にしてください。

 

前置き


端的に申しますと、私は鬱病でありました。いや、現在進行形で鬱病であります。ひと月のうち1.5週間に一度は鬱状態になっておりました。去年で調子良かった月が4月しかない。このタイミングで転職作業が出来て本当によかった。

元々季節の変わり目には鬱々としていたのですが、こら季節的なアレと違うな、と思ってメンタルクリニックを受診しておりました。そこで「あなたは鬱です」と言われたのできっとそう。鬱状態鬱病の境目がよくわからないけど多分そう。一応、抗不安薬抗うつ薬を貰ったのですが、抗不安薬が効いているのかどうか不安になって不安になるというよく分からないことをやっておりました。あと、抗うつ薬は飲むと気持ち悪くなるという話を聞いてめちゃめちゃ怖くて飲めずじまいです。いや、本当は飲んだ方がいいのはわかるのですが……


症状

よく分からないきっかけで突如襲ってくるのが鬱であります。これに襲われると、まず布団から出られなくなります。布団から出られないので当然食事がとれなくなります。

トイレにもいけなくなります。ギリギリまで我慢して、こらやばいなと鬱よりも、尿意という生理的欲求とヒトとして漏らせないという理性が勝った瞬間に衝撃と共に布団から飛び上がりトイレへ向かいます。

また、動悸が激しくなります。動悸と共に悪寒もきます。こころの風邪とはよく言ったものです。言葉に出ない「うわあああああああ!!!!!!」という感情が来る。

とにかく、何に対するやる気がなくなります。ただでさえ世の中を恨んでいるのですが、その期間は恨み節がマシマシになります。


これらはあくまで個人的に起こる症状なのですが、それにより他の方々にご迷惑をおかけするという現象が発生します。

まず、ただでさえ遅刻魔なのにさらに遅刻する。割と大事な会議に遅刻したことがあった。人との約束を鬱によりすっぽかす。主催側にいるイベントの当日に鬱になり行けなくなるところだった(結果的に行けた)。


また、本業の学業に支障が出まくりで、布団から当然出られないので、授業に出席できないわけです。これがサボれる言い訳になるならまだマシ(?)なのですが、基本的に私は学業熱心で、一つでも多くの知識を得ようという姿勢ではあるので、出席出来ないと凹む。それでさらに鬱になる。スパイラル。こないだ教授に「クルスくん最近見ないけど出席足りてる?」と言われた。うん、足りてないはずです。すみません。単位ください。


原因

社会的な面と個人的な面の二つあります。

社会的な面は、まぁTwitterをご覧の方は私がどういうものに興味をもって、どういうものに憤っているのかはお分かりかと思われます。労働であるとか、(性)犯罪であるとかそういうものですね。そういったものをひっくるめてどう変えて行ったら良いのか考えるために、そういう人を多くフォローしているわけで、必然的にそれらの悪い面も流れてくるわけです。メンタルが良い時に見るとそれなりに凹むし、悪い時に飛び込んでくるともう最悪です。困ったなあ。

個人的な面としては、あまり言えることがない、というのが正直なところで、その理由としては、具体的な人が関わってくるからですね。その人には迷惑をかけられないので。とにかくまぁそういう人間関係的なものです。


解決法のようなもの

あまりにも鬱の波が来すぎているので、鬱になっても段々冷静さを保てるようになりました。もちろん現在進行形で鬱の時はそういうことを考える余裕はないのですが、小康状態になった時やあとからその当時のことを反省することが出来るようになりました。そして、どうすれば鬱にならないよう対策できるか、考え始めました。

原因の部分と多くのものが重なるので、あえてこちらに書こうと思います。


まず、第一に空腹であります。とにかく「お腹すいた」が大敵です。お腹が空くということはエネルギー不足ということでありますね。エネルギーが不足すると、真剣にものを考えるということが出来なくなります。頭にまわるエネルギーがないからですね。それに加えて、全身にまわるエネルギーもないので、全体的な倦怠感があります。私は医学的なことはよくわかりませんが、多分これら二つは結び合ってると体感してます。少し鬱々としたら、とりあえず空腹を疑って、何かしらのものを食べることにしております。しかしそういう時に限ってお金がなかったりして、それがまたストレスで、その恨みがまともに賃金をくれない社会に対するものとなり、さらに鬱になるというスパイラルに陥るわけでありますが。


また、上記のように、食事をした後、鬱が良くなるかと言われるとそうでなかったりします。なんとなく気怠さは残ってしまう。多分そんなときは睡眠が足りてないのです。ただでさえ睡眠が足りてなくて正常な判断ができなくなってる状態で炭水化物とかお腹に放り込むとそら眠くなりますわ。多分それ鬱じゃなくて寝れば解決する問題だと思う。


また、鬱になるとき、物事をどんどんと悪い方に悪い方に悪い方にそのさらに悪い方にそのもっと先の奥の方へ、という風に思考が進みがちであります。でも、そういうことを考えてる時って呼吸が止まってたりするんですよね。いや呼吸は止まってないけど。なんだろう、呼吸が浅くなってるというか。そんなときはとりあえずまず目を閉じて深呼吸をします。すると、案外ハッとするもんです。


上にも書いてる通り、鬱の時は休息がたりてないことが往々にしてあります。そんな時に私が行くのが銭湯であります。思い返せば、自宅の風呂場はずっと入っておらず、いつもシャワーで済ませていた。浴槽に浸かって1日のこととか、社会のこととか、将来のこととか、政治のこととか、性のこととか(いや銭湯は男女で分かれるじゃないかという疑問は至極まっとうだし、それによって苦しめられたり悩んだりしている人がいるのは承知ですが考えないことにして)とにかく何も考えずに頭を空っぽにして一息つく。やっぱり常に何かに追われているわけです、そこから少しでも、1時間だけでも休ませてあげる時間を作ってもバチは当たらない。はず。

私はこれを参考にして交互浴というのをやってます。

https://travel.spot-app.jp/tokyo_sento_yoppy/


あとは個人的に信仰を持つとかですかね。私はやくしまるえつこを信仰しているのでひたすらやくしまるえつこに祈りながら相対性理論を聴いてます。やくしまるえつこさん勝手に祭り上げて申し訳ありません。ただ、本当に調子が悪い時はギターの歪みさえもドラムのシンバルさえも厳しいのでその辺は体調と要相談。


あとは、今いるところから逃げるということが経験上有効だと思っております。まあそら布団から離れられなかったり、そもそも風呂に入ってねえよ着替えもできてねえよやばい、みたいな状態で外に出るのは中々厳しいかもしれませんが…現に私も家にいる時は厳しい。外にいるときに突発的に鬱っぽくなったら有効です。とりあえず鬱が去るまで移動する。深呼吸して、急いで、深刻になる前にその場から逃げるべし。


今までのが個人的な原因、一人称による対処法です。次は社会的というか、二人称的な原因による対処法です。


Twitterでネガティブな情報を得たとき。いやあ厳しいですよね。いやマジで厳しい。何が厳しいってその現実を自分じゃどうしようもできないのが本当に厳しい。本当に厳しい。厳しすぎる。そんな気分になった時はとりあえずTwitterを閉じてお笑いを見てます。それで笑って気分を上向きにしています。いや、私自身お笑い自体に興味が全くないのですが、手軽に笑いを得られるツールとして優秀です。お笑いコンビとか全然わからないので、そういう話題になった時少しだけついていけるのは嬉しい副作用。


次は、低気圧です。こればっかりはもうどうしようもない。本当に。どうにもしようがない。大気圏の外に逃げるしかない。頭痛ーるを使って気圧を確認して、真っ赤だったらもう諦めよう。風呂にゆっくり浸かったり厳しかったら布団にこもって寝ましょう。

 

終わりに

長々と書いていきましたが、これが去年1年間、鬱々とした気持ちと向き合ってきたことであります。よく、鬱になる自分を責めず、受け入れてあげようというアドバイスがありますが、個人的には無理でした。鬱になるとどうしてもそんな考えはできないし、今これを書いている平静な状態でも鬱の時間はめちゃめちゃ無駄だよなあと思ってしまいます。なので、そうなる前になんとか対策を、なってしまったらなんとか抜け出せるように処置を、と考えた結果であります。

なんらかの参考にしていただければと思います(もちろん病院で受診なさるのが一番だと思われます)。


では、今年も何卒よろしくお願いいたします。今年の目標は「健康」と「助詞の使い方に気をつける」です。今のところ。

 

第5回 外山(自主)合宿実施要項

●日程
 8月11日〜8月18日

※教養強化合宿は8月10日が実質最終日で、自主合宿運営はその日夜の飲み会から参加します。
 
●場所
九州ファシスト党「我々団」アジト(外山恒一氏私邸)(福岡県)
 
●課題図書
『増補 革命的な、あまりに革命的な』
絓秀実
ちくま学芸文庫

→『救援ノート』

救援連絡センター
※期間中に読書会アリ


●外山(自主)合宿を開催する目的 
1.九州ファシスト党〈我々団〉アジトに保管されている文献・資料・映像等を、各々の学習・趣味に活用するため。
2.全国の学生及びその他の人間と交流することで、お互いの活動・運動に影響を与え合ったり、応援し合ったりするため。
 
●参加費
無料(カンパ制)※経済的に著しく困窮している希望者には個別に応相談。
 
●参加条件 
1. 下記の人物のいずれかと知り合いであるか、もしくは、知り合いになること。共通の知り合いからの紹介でも可。
外山恒一・髙瀬萌・中﨑クルス(文化系クルス)・亜細アナ研・八木・諏訪
2. 共同生活をする上で必要な自治意識を理解し、合宿の自治運営を実行すること。 
3. 合宿評議会本部に対し、何かあった際に人物を特定するための情報として、本名・電話番号・所属(学校・団体等)を開示すること。 
4. 規則を遵守すること。 
5. 上記 2.3.4.に関して、全面的に同意するか、評議会本部と話し合った上で双方が納得すること。
 
●規則 
1. 正午までに起床すること。 
2. 昼・夕食はなるべく全員でとること。 
3. 皿洗いは、食事を作った人以外ですること。 
4. 男子は2階に上がらないこと。(場合により応相談) 
5. 週に1回は全員で掃除をすること。 
6. 比較的人数が多い日があれば、読書会もしくは勉強会と、飲み会を開催すること。文献や題材は参加者同士で話し合って決めること。 
7. 参加者同士、真摯に対話すること。
8. 組織・党派へのオルグ禁止!
 
●外山(自主)合宿における自治
合宿期間中、合宿参加者と外山恒一氏は〈我々団〉アジトで共同生活をする。アジトとはいえ一般的な一軒家であるため、他人同士が一緒に生活するには不都合な点もある。 その状況下で参加者各自が「開催する目的」を達成するために は、参加者全員が安定して生活できるよう、お互いに配慮し合うことが必要不可欠である。 
よって、参加者の生活を脅かす行為は「開催する目的」を妨げる行為と見なし、その場で話し合い(評議会会議)をし、対応を決定する。 この合宿を有意義な活動にして継続していくためには、いかなる些細な問題も、誰かが我慢することで片付けてはならない。なぜなら、この合宿が有意義だったかどうかを判断するには、参加者がどれだけ楽しめたかが最も重要だからである。 
また、この合宿をどうやって「楽しむ」かは個人の自由だが、その「自由」は制限されたものであるということを忘れてはいけない。「自由」の範囲を間違えた人間の行動は、自治を破壊する。それを防ぐのは、外山恒一氏でも規則でも運営でもなく、参加者の行動そのものである。 
参加する同志諸君が、ただ参加しているのではなく合宿を運営する一員であるという意識を持ち、大学、ひいては社会から消されようとしている『自治』とは何かを考えて実行しながら学習・交流し、生活することを求める。 消費者でいるのは、もうやめよう。
 
●注意点
合宿に参加した時点で、参加者は全員、外山(自主)合宿評議会の会員になり、合宿の運営等について発言する権利を持つ。会費や定例会議等は無 く、参加者全員が当事者意識を持てるようにすることが目的である。 議長は髙瀬萌、書記長は中﨑クルス(文化系クルス)。
 
文責 
外山(自主)合宿 評議会議長 髙瀬 萌 
2018年(平成30年)6月14日
2019年(平成31年)2月25日 改定
2019年(令和元年)7月12日 改定
 

楢山節考

1 楢山節考の社会観

楢山節考の舞台となる社会は、町とは隔絶された、厳しい雪山の山岳地方であることが描写される。そこで、いくつかの家々が集まり村落共同体を形作っている。

そこの部落のような環境では、そこの環境をいかに乱さないか、和をもって生きていけるかが重要になる社会である。今風の言葉で言えば「ホモソーシャル」な社会である。

伝統が通用する社会であり、その伝統をいかに守るかが大切な要因となってくる。それはつまり、伝統や風習で形作られてきた環境を守るためには個人が死ななくてはいけない社会である、ということである。

また、従来の伝統が外れた存在が発生した場合は、明文化した「法」といったものを適用せず(そもそもそのようなものは存在しない)、住民同士のある種の空気で物事を決めていく社会であるということである。そのような、現代的な言葉を使うとすれば「前近代的」かつ「動物的」な世の中なのが楢山節考で描写される社会の様相である。

 

2 楢山節考の前近代性

 

2.1 松やんの実家根絶やし

中盤の盛り上がりどころの一つとして、松やんとその一家が、村々の人間の襲撃に遭い、家を破壊され(最終的に家の前に幣を貼られる)、拉致され生き埋めにさせられるという描写がある。これは、村の掟により、村の人々の食料を盗んだ人は「楢山さんに謝る」という名目によるものである。しかし実態は家を破壊する過程で発見した盗品を皆で分け合い、もしくはその場で食らい、時に賭け事のチップ代わりにする、というある種の享楽を伴ったイベントであることがわかる。辰平家から芋を盗んでいるのが発覚した松やんを、辰平は脅迫するだけで処罰(殺し)まではしなかった。それは松やんが長男のけさ吉の恋人であるという事情も関連していたであろうが、そこでは盗みを働いた即吊るし上げて殺すということはしなかった。家の前で呆然としている松やんをおりんは家に入るように促してもいる。この時点では村の掟といえど、家族間の情の方が勝っているともいえる。しかし、松やんの盗みがその後も続いたのか、辰平家の一件を受けてのことなのかは定かではないが、おりんは松やんに家族に分けるようにと芋を持たせ、実家に帰らせる。辰平やおりんと松やんの間の家族の情といったものよりも、社会をまわしていくシステムの方が優先された瞬間である。そして、上記のような事態が起きる。松やん一家は、盗人を処罰するという名目で犠牲になったのだが、その一方で物資の少ない村の享楽のためのスケープゴートになったと捉えることができる。しかもそれはルールに定められてなにかを裁くのではなく、村の掟という非常に曖昧な物によって動物的に裁かれていく。

 

2.2 おりんの「山」行き

松やん一家が虐殺された後も、辰平の後妻である玉やんや、けさ吉の後妻である杉やんの登場により、おりんの仕事が続々と奪われていく。おりんは年齢の割には歯が丈夫で、家事もこなせていたが、若い女性の登場により仕事がどんどん取られていく。そのことを感じたおりんは自ら自分の歯を折ろうとする。そしてついに「山」行きを決意する。辰平はそれに反対するが、村の掟には逆らえず、母をおぶって「山」へ行くこととなる。最終的に登り切り「山」に母をおいて下山する。

おりんのような年老いた存在は、若い女性が仕事をこなせる世の中では足手まといでしかなく、ただの穀潰しとなる。しかもそれは厳しい山岳地帯では死活問題である。おりんはこのまま老いて死を待つ身であるのなら誰にも迷惑をかけずに死のうと、自分から「山」行きを決意する。そして、それはなにもおりんの特別な意思などではなく、「山」の最奥に無数の人骨があり、そのなかには死後幾ばくもたっていない遺骸の存在が描写されるとおり、ありふれていた風習である。そして、「社会」を回していくためには「個」が犠牲にならなくてはいけないという前近代性の描写であるともいえる。

辰平は掟より、おりんに話しかけることなく、振り返ることなく下山する。その道中雪が降り始める。それに感動した辰平は掟を破り、母親を置き去りにした最深部に引き返し、叫ぶ。「おっかあ、雪が降ってきたよう!」。これは、掟や社会システムを守るためには個人の意思や感情を無視する社会に対する抵抗、つまり感情の発露だったのではないかと解される。

 

3 まとめ

近代社会は個の権利を守るために人権という物を作り出し、法を整備することにより存続してきた。しかし依然として、一時期大流行し、今では日本語の一部と化した向きもある「空気を読む」という言葉に象徴されるように、和を乱さず、社会システムを守って行くには個が犠牲にならなくてはいけない(空気を読まなくてはいけない)という風潮はある。また、楢山節考で描写されたような、社会システムと個に介在する「感情」のせめぎ合いも興味深い。

 

 

第4回 外山(自主)合宿実施要項

●日程
 3月30日~4月6日
 
場所
九州ファシスト党「我々団」アジト(外山恒一氏私邸)(福岡県)
 
外山(自主)合宿を開催する目的
1.九州ファシスト党〈我々団〉アジトに保管されている文献・資料・映像等を、各々の学習・趣味に活用するため。
2.全国の学生及びその他の人間と交流することで、お互いの活動・運動に影響を与え合ったり、応援し合ったりするため。
 
●参加費
無料(カンパ制)※経済的に著しく困窮している希望者には個別に応相談。
 
参加条件
1. 下記の人物のいずれかと知り合いであるか、もしくは、知り合いになること。共通の知り合いからの紹介でも可。
外山恒一・髙瀬萌・中﨑クルス(文化系クルス)・亜細アナ研・ヒミコ・八木 
2. 共同生活をする上で必要な自治意識を理解し、合宿の自治運営を実行すること。
3. 合宿評議会本部に対し、何かあった際に人物を特定するための情報として、本名・電話番号・所属(学校・団体等)を開示すること。
4. 規則を遵守すること。
5. 上記 2.3.4.に関して、全面的に同意するか、評議会本部と話し合った上で双方が納得すること。
 
規則
1. 正午までに起床すること。
2. 昼・夕食はなるべく全員でとること。
3. 皿洗いは、食事を作った人以外ですること。
4. 男子は2階に上がらないこと。(場合により応相談)
5. 週に1回は全員で掃除をすること。
6. 比較的人数が多い日があれば、読書会もしくは勉強会と、飲み会を開催すること。文献や題材は参加者同士で話し合って決めること。
7. 参加者同士、真摯に対話すること。
8. 組織・党派へのオルグ禁止!
 
外山(自主)合宿における自治
合宿期間中、合宿参加者と外山恒一氏は〈我々団〉アジトで共同生活をする。アジトとはいえ一般的な一軒家であるため、他人同士が一緒に生活するには不都合な点もある。 その状況下で参加者各自が「開催する目的」を達成するために は、参加者全員が安定して生活できるよう、お互いに配慮し合うことが必要不可欠である。
よって、参加者の生活を脅かす行為は「開催する目的」を妨げる行為と見なし、その場で話し合い(評議会会議)をし、対応を決定する。 この合宿を有意義な活動にして継続していくためには、いかなる些細な問題も、誰かが我慢することで片付けてはならない。なぜなら、この合宿が有意義だったかどうかを判断するには、参加者がどれだけ楽しめたかが最も重要だからである。
また、この合宿をどうやって「楽しむ」かは個人の自由だが、その「自由」は制限されたものであるということを忘れてはいけない。「自由」の範囲を間違えた人間の行動は、自治を破壊する。それを防ぐのは、外山恒一氏でも規則でも運営でもなく、参加者の行動そのものである。
参加する同志諸君が、ただ参加しているのではなく合宿を運営する一員であるという意識を持ち、大学、ひいては社会から消されようとしている『自治』とは何かを考えて実行しながら学習・交流し、生活することを求める。 消費者でいるのは、もうやめよう。
 
注意点
合宿に参加した時点で、参加者は全員、外山(自主)合宿評議会の会員になり、合宿の運営等について発言する権利を持つ。会費や定例会議等は無 く、参加者全員が当事者意識を持てるようにすることが目的である。 議長は髙瀬萌、書記長は中﨑クルス(文化系クルス)。
 
文責
外山(自主)合宿 評議会議長 髙瀬 萌
2018年(平成30年)6月14日
2019年(平成31年)2月25日 改定

情況

早稲田アナキズム研究会が、昨年の初夏に開催したイベント「千坂恭二講演会 in入谷」の文字起こしが、今回めでたく『情況』の2019年・冬号に掲載されることになりました。
早稲田アナ研を新しく知った方や、諸々の予定があって行けなかった方等、出来るだけ多くの人に読んでいただきたいです。
1/17に発売する、と聞いております。本が好きで、旅行先でも多くの本屋に立ち寄って時間とお金を無駄に潰す僕も、情況は東京を含め、どこの書店でも見たことがありません。新宿御苑前の「模索舎」でしか売っているところを見たことがない。
なので、ぜひ新宿御苑前模索舎にお立ち寄りいただき、ぜひ購入してお読みいただければと思います。模索舎で本を買って。
(上の文を書いた後で調べたらAmazonでも売ってるっぽい。)
『情況』編集部に繋いでくださったTさんや、話が進んでからは仲介をしてくださったIさん、そしてなによりも、訳もわからず話を勝手に進めてしまい、多大にご迷惑をおかけしたと思うが、「いい経験になる」とリライト作業に協力してくださった早稲田アナキズム研究会の方々に深く感謝を申し上げます。本当にありがとうございました。今度焼肉に行きましょう。

情況 2019年 01 月号 [雑誌]

情況 2019年 01 月号 [雑誌]

 


以下は僕が今回の原稿にこめている思いというか裏話。


2017年の夏に外山恒一氏が主催している「教養強化合宿」を終え、東京に帰ってきた僕が、なんか面白いことないかなあと探していたところ、タイムラインに早稲田アナキズム研究会のTwitterが流れてきて、読書会を行なっていることを知った。たまたまその時に読んでいる本が、外山恒一氏が書いた「マルクス主義入門」だった。ちなみにこの本(機関誌「人民の敵」所収、イベントで単体発売もアリ)はめちゃめちゃ良いのでみんな読め。
ついこないだまで本人に9泊10日で直接指導を受けていた身としては、本人が何を書いているのか知ろうと思い参加を決意した。これまた余談になるが外山恒一氏の「教養強化合宿」は期間中、哲学史や、左翼運動史、それにかかる文化史をずーーーっと詰め込みで勉強するので、氏の理論や考えは全くと言っていいほど教えられない。普通に勉強になるので、学生はみんな行け。これで実負担は福岡の往復交通費のみというのはどう考えても行くしか選択肢はない。
ともかく、それが早稲田アナ研とのファーストコンタクトであった。
その後、仲良くなり、読書会にも「常連」のごとく顔を出すようになり、飲み会やその他イベントでも一緒に行動するようになった。家にも何度も泊めていただいた。終電を逃しがちな僕を嫌な顔をたまにしつつ(本当にごめんなさい)泊めていただいて本当にありがたかった。一昨年、去年を通じて家族以外で最も会話を交わしたのは早稲田アナ研の方々だと思う。良いか悪いかは別として男性性まるだしの会話から、政治思想に関する真面目な議論まで、色々した。


早稲田アナ研から千坂恭二氏を呼んで講演会をしたいという話を聞いたのは2018年の春先だったと記憶している。読書会で歴史からの黙示を頭を捻らせながら読んでいる最中だったので、その著書に色々伺えるのならば絶好の機会だと思い、賛同した。早稲田アナ研のメンバーではなかったが、開催当日まで連絡を密にとって、段取り等々を話し合った。裏方として当日の案内や雑用をこなした。講演会は、多数の人にご来場いただいた。直接お誘いした知り合いもそうだが、純粋にイベントそのものに興味を持ってくださった方々のおかげで、小さな集会室を埋め、当初用意していた椅子では足りず、裏に隠していた椅子を急遽追加した。ご来場くださった方々には狭い思いをさせてしまったかもしれない。本当に失礼しました。二次会や三次会にも大勢の方々が参加してくださった。本当にありがとうございます。


講演会終了後、僕は自主的に文字起こしを始めた。講演会の内容は千坂恭二氏の著書やTwitterで読んだことある話から、初めて聞くものまで、とても興味深いものであったので、文字にして残しておくべきであるとの考えと同時に、早稲田アナ研への恩返しというものがあった。公私ともに(公ってなんだよ)お世話になりっぱなしの早稲田アナ研に、微力ながらなんらかの恩返しが出来ればと思った。講演会から一ヶ月の8月中旬くらいには完成出来れば良いなあと軽い気持ちで始めたが、文字起こしなど一度もしたことがなかったし、生来のものぐさもあり、思いの外難航した。が、なんとか完成した。10月の初め頃だった。
その後、Tさんを通じ、元々知り合いだったIさんと相談して、元原稿の大幅なリライトをすることになった。元々22000字のものを、どうにか15000字まで減らす、と。
リライト作業は困難を極めた。重複している内容は、上手い具合に削れば良い。だが、本文に多少関係あるエピソードや、本文(文脈)の関係が薄いが、重要かつ興味深い論点は削るかどうかとても悩んだ。それらを見極めるのがとても難しく、みんな悩んでいた。どうにかこうにか17000字まで削り、情況出版に送付し、掲載へと至った。削った内容も含めて今度なんかしらでフルバージョンを公開したい。


最後の方は箇条書きみたいになってしまったきらいがあるけど、そんな感じです。重ねて、皆々様にお世話になりました、早稲田アナキズム研究会は今年も頑張っていくと聞いてますので、応援よろしくお願い致します、ということが言いたかった。

金沢

金沢へ行った。

始発に乗ろうとしたが、寝坊したので、途中から新幹線に乗った。

寝坊したことにより、旅程が崩れてしまったので、どう行こうか悩んだが、当初の予定通り中央本線で長野まで出て、そこから北陸新幹線へ乗って金沢へ行った。

道中、姨捨駅ではじめてのスイッチバックを経験した。話には聞いていたが、実体験するのは初めてで、うおーとなった。

姨捨駅から景色がよく見えた。本当に綺麗な景色だった。

善光寺平というのだ、ということを知り合いの革新右翼から教えてもらった。ありがたい。

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長野駅から北陸新幹線に乗る。

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IRいしかわは今度乗る。今度こそ寝坊しない。4時に起きると意気込んで7時過ぎに起きたりしない。

 

金沢に着いたら、間髪入れずに内灘へ行った。歴史を感じる電車で行った。よろてつ並みの歴史を感じる電車だった。

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五木寛之さんの内灘夫人を読んで、ぜひ行ってみたいと思ったので行けてよかった。

日の入りから夜になるあたりの日本海を眺めた。

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割と明るいけど、これは加工してるからであって、本当はもっと暗い。あと寒い。クソ寒い。どこまでも海と砂浜が広がっていた。

 

次の日は、行こうと思っていた場所や店がことごとく定休日で、なんだよ!となった。東茶屋街には行った。

あとは主計町にも行った。

昼ごはんに食べたカキフライがめっっっちゃ美味しかった。

 

次の日は香林坊をうろうろしたり、犀川を渡って西茶屋街へ行ったりした。

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オヨヨ書房という古本屋へ行った。いろんなものが置いてある倉庫みたいなところに、本棚もありつつ、無造作に本が置いてあるのがとても良い。良い。また行く。こんなところに住みたい。

その前に、尾山神社へ行った。入口の門が和洋折衷でとても素敵だった。

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境内に遥拝所があった。皇大神宮明治神宮を指していたので、おー、あっちが東京なのかー、となった。

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本殿の机の上に日本会議の機関誌「日本の息吹」が、ご自由にお取りくださいと置いてあったので、遠慮なくご自由にお取りさせていただいた。やったあ。

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今回、雪が積もってる雪吊りが見たくて金沢に行ったのだが、雪が降るどころか雨すらたいして降らず、なんだよー、となった。というか、雪吊りが金沢市内至る所にあった。兼六園にしかないもんかと思ってた。なんだよー。せっかく長靴新調したのによー。まぁ、過ごしやすかったからいいけれど。

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帰りは新幹線で帰った。新幹線に乗ったらすぐ車内販売のお姉さんがいたので、シンカンセンスゴイカタイアイスを買った。マジで硬い。アホか。美味しかった。アホか。

 

今度は雪が降ってる時に行きたい。

そんなことを伊豆急行に乗りながら考えた。

 

 

██████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████

████████████████████疲れた█████

████████飲み会には出ません████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████アカウントは消さず残しておきます。█████████████████████████ひとまずスマホからTwitterアプリを消す感じですかね。

█████LINE█████████████████アカウント自体は消さないので、連絡をくだされば対応できます。

████████████████████勉強は続けていきたい█████████████████████████████████████████

██████████████████████████

とりあえずそんな感じです。

ご理解のほどよろしくお願い致します。

 

以下は読みたい人だけどうぞ。

 

自分は主に、いわゆる「外山界隈」というのと、直接行動(Direct Action)の人たち(以下DA)と関わってきました。

外山界隈は外山恒一さんのシンパ的な、なんかゆるーい飲み友達的なコミュニティーで、皆さん思想や哲学を勉強してたりするので、個人的には高度な床屋政談、政治サロン的な感じだなーと思っています。

一方、結局飲み屋で話してても世の中何も変わんねーんだよなーとも思っています(一応外山界隈にいるであろう早稲田アナ研は肯定的に評価してます)。

 

DAは、なんかずっと昔から連綿と続いてる古き良き学生運動的なのをノンセクトでがっつりやってる若い人たちです。最近は労組とかにも関わってるみたいな感じ。すっげえ尊敬する。

外山合宿帰りの何かやりたいなーという自分にはうってつけだったし、例えば学生メーデーの趣旨には完全に同意するものであるので、SEALDs的な学生運動意識高い系には乗れない(しかも政治的な物心ついた時には解散してたし)身にとってはとても良かった。

世代的にも同い年や+1〜3くらいの同年代の人たちが多かったので、普通に友だちや知り合いとしても楽しかった。

ただそのガチガチな左翼な感じが合わないというか何というかっていう感じ。こないだ言われたところによると、ようは社会で起こっている諸問題というのは構造的に見れば他人事ではなく、自分の身にも起こり得るわけであって、つまり自分の生、生活を運動、活動の目的意識と同期化できるといった、とてつもなく途方もなくド正論がどうにも肌に合わない。彼らの言うことは正しくて、とても正しくて、辛かった。

要するに外山界隈でただ呑んで政治談義してても世の中は一ミリも変わらないわけで、だからと言ってDAのとてつもない正しさってのが辛くて、じゃあ個人的に勉強したり考えを深めようとしようと思っても、週末には(時には平日にも)外山界隈DAなんかしらのイベントやら何やらがあって、考える暇がない。

これでは両方とも中途半端で、両方の変な言い方だけど「駒」みたいな感じになってしまうことを恐れた。何も考えられずに自分から主体が失われていくことが怖いのです。

その板挟みで疲弊してきた█████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████████

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色々と語弊があることとは思います。間違いとかがあったら遠慮なくお教えください。しかし、これが今の偽らざる気持ちであります。